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はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

ホームベーカリーでライ麦パンを焼く

2020年11月30日 | 食べ物

2020/11/30

 

うちで食べるパンはすべてホームベーカリーで焼いていますが、これがおいしいのです。そんじょそこらの店よりずっとおいしい。

私はドイツパンが好きなのですが、なかなか売っている店がないので、ライ麦粉を取り寄せて、ライ麦パンをホームベーカリーで焼いてみました。

いつものパンドミーの材料の強力粉を半分ライ麦粉に替えてみました。

焼き上がりは、ややふくらみが少ないです。でも固いわけではありません。

とても香ばしいかおり。

ローストビーフをはさんでサンドにしました。

粒感が残って、味がしっかりしていて、おいしかったです。

フランスパンもホームベーカリーで焼けますが、皮がパリッと中はふんわりで、とてもおいしくできます。

 

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NHK杯が終わる

2020年11月29日 | フィギュアスケート

2020/11/29

 

NHK杯が終わりました。

アイスダンスは、小松原・コレト組が優勝。やっぱり上手でしたもの。アイスダンスらしい優雅さが溢れていました。

村元・高橋組は、2人の頑張りに感動してしまいました。

かなちゃんはアイスダンスらしい伸びやかさがあったけれど、大ちゃんは全身から出る表現が、伸びやかとまではいかない。2人でひとつのような感覚を身につけるのは、長くシングルをやってきて、身につけたものを変えていくのは難しいのだろうなと思います。

スケート靴も違うし、相手をリフトするのは筋肉の付き方がシングルとは違うので大変でしょうね。

でも、ふたりとも、いろいろ言われるのを承知で挑んでいることですから応援したくなります。もう少し長く見守っていきたいですよね。二人とも頑張っているのが見て取れて、ちょっとうるうるするくらい感動してしまいました。

 

女子は坂本花織ちゃんが優勝、ノーミスの落ち着いた演技でしたね。

男子は鍵山優真君が優勝、強いなあと思いました。ジャンプの回転の速さ、スケーティングのスピードは世界トップレベルで闘える人ですね。

このコロナ期間はスケートリンクにあがれない日もあったと聞きますが、みんなレベルが落ちていない。それぞれの場所で頑張っていたのだろうなと感じました。

優勝の皆さん、おめでとうございます!

 

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NHK杯フイギュアが始まった

2020年11月28日 | フィギュアスケート

2020/11/28

 

昨日から大阪でNHK杯が始まりましたね。

リズムダンスはちょうどリアルタイムで見たのですが、開会式のファンファーレが鳴ると、「ああ、なつかしいなあ~」と思いました。

白い楕円形のアイスリンクが映り、選手たちが6分間練習をしているのを見ると、ドキドキする気分が蘇ってきました。ああ、このリンクを見て、私までもが、いつもドキドキしていたんだったなあ。

村元哉中・高橋大輔組は、やはり注目しましたね。大ちゃんを見ていて、本当にこの人は、人前に出て演技を見てもらうことが好きなんだなあと思いました。

小松原・コレト組は安定の演技。

 

しばらく遠ざかっているうちに、男子も女子も知らない名前が増えたなあと思いました。

本田 ルーカス剛史君、三浦佳生君、木科雄登君はよく知りませんでしたが、ジャンプがみんなよかった。

女子は、坂本花織ちゃんが力強いジャンプで、落ち着いた演技でした。三原舞依ちゃんは、まだ細いけれど、しっかり演技ができてよかった。人前で滑る喜びが表れていましたね。新葉ちゃんはトリプルアクセル転倒残念でしたが、果敢に挑戦。

若い選手の台頭を見ていると、全日本選手権のような感じがしますね。やはり実際の試合経験から得るものは大きいですよね。

1席おきの観客席、あの静かさはいいと思いますが、やはり入退場、トイレ、移動の電車などはどうなんでしょう。見に行く方は気を使っていると思いますが。

今日はフリープログラム。これからですが、結果がどうなりますやら、楽しみです。

 

 

 

 

 

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「Tokyo Music Evening Yube」コバケンさんのコンサート

2020年11月27日 | コンサート

2020/11/27

 

昨夕、池袋西口公園で「Tokyo Music Evening Yube」という催しがあり、行ってきました。

ここは池袋駅西口を出て2~3分で行ける距離で、東京芸術劇場のそばです。以前からこの広場には屋外ステージがあって、ライブコンサートやフラダンスのフェスタが行われていました。

豊島区によってグローバルリングという野外ステージが整備されてから、ここで定期的にコンサートが開かれるようになっています。

 

午後5時30分からはイルミネーション点灯式でした。

青いイルミネーションが、夕やみに浮かび上がってきれい。

 

無料ですが、募集に申し込んで当選した人は椅子に座って聴けます。申し込まなくても、屋外ステージなので、近くを歩いている人は見ることもできますし、音も聞こえます。
 
昨日はそれほど寒い日ではなかったのですが、日が暮れてから屋外で座っているのは寒いかもしれないと思って、帽子、マフラー、ブーツで行ったら正解でした。やや寒さは感じましたが、風がないので楽でしたね。
 
プログラムは
・スメタナ作曲「わが祖国」より「モルダウ」
・ビゼー作曲 「アルルの女」より「ファランドール」
 
屋外ですが、想像以上によい音でした。もちろん、街のざわめきが聞こえてくるのですが、それが全然気にならず、環境音というのか、一体化して、すてきな雰囲気でした。
屋外なので、コロナの心配もありません。
 
コバケンさんは80歳におなりになったそうですが、とても若々しくて、いかにも音楽家らしい様子。オーケストラもマスク姿でした。吹奏楽器は、ステージ上部のアクリル板で仕切られたところで演奏していました。
 
 
コンサートの様子がYou Tubeにあがっていましたので、リンクを貼っておきます。
来賓の挨拶や点灯式も含めて51分ほどありますが、演奏は17:40頃からです。
 

https://youtu.be/nTZJDnaM7-8

 

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晩秋の花

2020年11月26日 | 花・植物

2020/11/26

 

昨日は寒い1日でしたが、今日はいくぶん寒さも和らぎました。

近くの公園に散歩に行くと、木々が色づいていました。

 

家のプランターに植えたフリージアとアネモネが芽を出しています。

 

パンジーもいい具合に咲いています。

 

 

 

毎年秋になると苗を買って植えるパンジーですが、こうしてたくさん咲いてくれると、うれしいものです。

 

 

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続き『ヒタメン 三島由紀夫 若き日の恋』②

2020年11月25日 | 三島由紀夫

2020/11/25

今日は三島由紀夫が亡くなって50年の祥月命日。

前回の岩下尚史著『ヒタメン 三島由紀夫 若き日の恋』続きです。

 

ヒタメンとは「直面」と書きます。

「能のシテが仮面をつけずに舞台にあらわれると、それは役者の素顔ではなく『直面』というもうひとつの仮面である。」

素顔のようでいて、やはり演技しているということですね。

第9章「おそらく最後の証言者」。

湯浅あつ子さんの聞き書きです。湯浅あつ子さんは、三島の妹・美津子の同級生の姉にあたり、三島とも親しく、三島の両親にも可愛がられて平岡家(三島家)に出入りしていた女性。夫はロイ・ジェームス。

「まるで弟のように・・・・・と申しましても同い年ですけれども。まあ、私は三島由紀夫にとって、親友と姉と恋人を兼ねたような存在でしたからね、たとえ、血はつながらなくても、おたがいに1ばん近い身内でした。」(P.287)

あつ子さんの聞き書きには驚くべきことが語られ、まるで週刊誌的興味で私は読んでしまったのです。

抜き書きして引用させていただきます。

【引用】

その頃の公ちゃんは、(中村)歌右衛門にぞっこんでございましたから。平岡のおばさまが嫉妬なさるくらい。当時の公ちゃんには、『仮面の告白』に書いたような傾きが、実際、見受けられましたからね。

歌右衛門とは、まさか、深い仲ではなかったとは思うんですけど、実際にあったかどうかはともかく、それに近いような思い入れは、確かにありましたもの。

湯浅さんによれば、三島は歌右衛門にぞっこん惚れ込んでおり、お顔も様子も似ていた貞子さんに歌右衛門を重ねていた部分がある。(p.270~272)

・・・・・

前夜の逢瀬のあれこれを、翌日、そのまま話に来るんですもの。私にだけは、女の恋人ができたことを自慢したかったのかもしれません。

ずっと後になって、彼女(貞子さん)に会ったときに、「あの頃、熱海や京都にも泊り掛けで行ってたって、公ちゃんからよく聞かされていたけど、あなたのご両親は御存知だったの?」と聴きましたら、「その頃はお店が忙しかったし、何しろ使用人も何十人もいて、取り紛れていたんでしょう」なんておっしゃっていましたが・・・・・赤坂でしたっけ?花柳界と云うのは、私たちから見ると、不思議な世界ですね。(P.273)

毎日のように会っていても、3年のあいだ、だこさん(貞子さん)が同じ衣装を着ているのを見たことがないと、公さんは感心していましたよ。それこそ帯から何から、お金のかかった凝ったものばかり・・・・・それを、たった今、しつけの糸を取ったばかりといった様子で、あらわれたそうですよ。

どこへ行くにも、だこさんの好きそうな場所を一生懸命選んでは連れて行くわけです。それこそ超一流なんですね。ですから、いつもお金が足りない。文士の稿料なんて知れてますわねえ。

当時は平岡のおじさまは年金生活者ですから、長男である公ちゃんが両親や弟を助けなければなりませんもの。

そこで、私がお立て替えをしていました。公ちゃんは必ず返しに来ましたからね。借りに来るのは週に1度で、いつも七萬円と決まっているんです。

(昭和29年当時の7万円を現在の価値に換算すると、当時の国会議員の月額歳費が七萬八千円、現在のそれは130万円である)

19歳のだこさんの財布には、いつも10万円の新札が入っていたそうである。

 

公ちゃんは結婚するまで親と同居しておりまして、緑ヶ丘の借家住まいでしたが、2階が6畳と3畳でしたか、そこを公ちゃんが占領して、自分の書斎にしていましたの。そこへ寝るんでしたからね。可哀想なくらい薄い煎餅布団のシーツが、いつ見てもヨレておりましてね、布団の真ん中がつぶれて両側だけかぶさって、ちょっと太鼓みたいな形になっているんですよ。

ーーそれで家督の惣領である三島由紀夫が、親兄弟を養わなければならなかったわけですね。

そうです、お金を稼ぐためには、公ちゃんは作家として、何としても有名になる必要がありました。

ーーなるほど、私などが想像していたよりもつつましい暮らしのようですね。

・・・・・・

以下は、後書きでの岩下氏の感想である。

「まるで生まれながらの貴公子のような言動を繰り返しながらも、ありようは、緑ヶ丘の借家なる屋根裏のような中2階にささやかな机を据え、古浴衣の紐を巻き付けた木綿布団にくるまりながら、夜の目も寝ずに筆を執り、年金暮らしの両親と弟妹を養う、若き日の三島由紀夫の健気さー」 

「絢爛、豪華、荘厳、華麗等々・・・お決まりの誉め言葉で形容されるのが型となった当代文壇の驍将の、つつましい楽屋を覗いた思いがする。」(p.349)

・・・・・

再び第9章より【引用】

公ちゃんに対するおばさまの偏愛ぶり、これにはおじさまも匙を投げていらしたくらいです。

それも度を越しておりました。おばさまが「公威さん、足を虫に刺されてイタイイタイだから、ちょっと舐めて頂戴よ」なんて仰言ると、「はいはい、どこどこ」って、むき出しの肌をぺろぺろ舐めてましたもの。

ですから、世間には、近親相姦じゃないか、なんてうわさする人たちもあったほどですよ。(P.289)

 

ーーそんなふうでは、貞子さんと付き合っていることなど、三島由紀夫から母親にはいいにくかったでしょうね。

そうかもしれません。でも、平岡の両親は知っておりました。だって、一緒に住んでいますから、ああ毎晩のように帰りが遅いんじゃ、どこの親だって、たいてい察しがつきますよ。

貞子さんのことは興味津々といったところです。ちょっと、変わった親たちですから・・・・・。

それにいくら何でも、料亭の娘さんと結婚するところまで、この交際が進展することはないだろうと云うような暗黙の了解が、平岡の親子にはあったと思います。

あちらのお母さまも、長男のところへは、ぜったいお嫁に行ってはならないとおっしゃったそうです。それと後ろ盾のない家の息子はダメだとも・・・・ね。(P.292)

貞子さんは、旧財閥の次男と結婚したそうです。

だこさんという人は、男たちに人気がありましたもの、言い寄ったのは、公ちゃんばかりではありませんでしたよ。ですから、ほかの男に誘われて、彼女がそっちへなびかないように、毎晩会うことで、自分に縛りつけておこうとしたわけです。

・・・・・

 

そして次には、瑤子夫人との結婚のいきさつになるわけですが、単純に幸せな結婚、とはいえない、ここから苦しみが始まったのかと思われる結婚の様子が語られます。

それは次回にしましょう。

 

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『ヒタメン 三島由紀夫若き日の恋』岩下尚史著 ①

2020年11月24日 | 三島由紀夫

2020/11/24

 

三島由紀夫関係の著作は、石原慎太郎著『三島由紀夫の日蝕』を読んで以来、ずっと読み続けている。読むものすべてがおもしろく、興味は尽きない。

明日25日は三島由紀夫の50年目の命日ですから、何か書いておきたいと思います。

取り上げるのは、岩下尚史著『『ヒタメン 三島由紀夫若き日の恋』。

 

 
 

 

岩下尚史さんは「ハコちゃん」というニックネームで、ときどきテレビのコメンテーターで見かける方。日本の芸事に詳しく、いつも着物姿で独特の雰囲気を漂わせている。

その岩下氏が、三島の結婚前の唯一の恋人だったと言われている豊田貞子さんに聞き書きしたのが本書。

福島次郎のときも、〈これを書いてくれてありがとう、新しい事実を知った〉と思ったけれど、貞子さんの聞き書きも感謝です。

福島次郎は男性の恋人で、貞子さんは女性の恋人です。このあたりのことは、また別の機会に書きたいと思います。

まずは、この本の紹介。

貞子さんは赤坂の高級料亭「若林」の娘で、裕福なお嬢様だが、堅気の家とはちょっと違っていて、半玄人というのか花柳界も知っている。「若林」のお客は政界、財界の一流人たちなので、そういう人々との面識もあり、自然に社交術を身につけている人だったようだ。

初めて三島と会ったのは、19歳のとき、中村歌右衛門の楽屋であり、次には歌舞伎座前で偶然会い、三島から時刻と場所を書いた名刺を渡された。翌日、その場所に行ったことが交際のきっかけとなる。

 

本文から抜き書きします。

【引用】

 いつも、次に逢う場所と時間を書きとめた名刺を渡された。(p.40)

次に逢うのが・・・と云っても、ほぼ毎晩ですけれども・・・ 何時に、どこへ行けば好いのかは、その名刺を渡されるまで、全くわからないわけです。 ですから、わたくしとしては、明日からの予定を決められなかったんですの。

とにかく、「好きだ、全身全霊で君に惚れてるよ」なんてことばかり言うわけですよ」(笑)

もう、わたくしのことを誉めて、崇めて、たいへんなの。また、口先ばかりでなく、心から優しいし、親切でしたからね。ほんとうに大切にして呉れました。彼と逢っていても、不愉快なことは、三年のあいだ、ただの一度もなかったんです。

私にとっては、誠実で、あんなに善い人ってありませんでした。

これは申し上げにくいんですが、当時のわたくしの胸の内を思い返しますと、(略)こちらのほうでも恋していたかと申しますとね、正直、それが一寸あやしいんです。(p.42)

ああして、公威さんに言われるままに、日ごとに逢いに出かけたのも、恋を知り染めた若い女らしい情熱なんかではなく、ちょうど小学生が朝になれば顔を洗って、歯を磨いて、鞄を提げて学校に通うのと同じように(略)指定された待ち合わせの場所へ出かけていたような気がしてならないんですの。もちろん、公威さんのことは好きでしたよ。

十九のわたしからすれば、ずいぶん老成者(おとな)に見えました。(注:三島は29~32歳)

それで他人に対して決して厭なことをしない、無邪気で、見るものは何でも、綺麗なものが好きな、気の弱い、臆病な、そして手先が不器用な・・・・・・どこまでも純粋で、一途な男(ひと)でしたね。

・・・・・

 

公威さんからのプロポーズですか?結婚してくれと正面から言われたことはありませんが、お付き合いをし始めて間もない頃に、子供を産んでほしいとは言われました。

わたくしの返事ですか? いやあよ、と申しました。

それで、その日からしばらくして「君、家が欲しくないか?」って言うのよ(笑)「家なんて欲しかありません」って返しましたけど。それから、またしばらくして「ねえ、二人でポルトガルに行って暮らさないか?」なんて真顔で言うんですよ。「日本を離れるなんてまっぴら」って断りましたけどね。

でも今から思うと、まんざら冗談でもないような気もするんですよ。あの頃の公威さん、よっぽど何かから逃れたかったのかなあなんて思うようになりましたね。

・・・・・

(昭和32年『金閣寺』で読売文学賞を受賞した前後くらいから)

わたくし、頭痛に悩まされるようになりましてね。なんとなく、色んなことに関して、気が重くなってきたんです。

だって、わたくしの身のまわりのことも、いつの間にか、すぐ小説になったりしますしね。それですから、「迂闊なことは言えない」と思うようにもなるし・・・・・。

その頃から公威さんの仕事に関係するような場所にも引っぱり出されるようなことも増えてきたんです。それでいて、おたがいに、結婚の話は、どちらからも致しませんでした。

出会ってから3年が経ち、わたくしも22歳になっていましたから、いかにわがまま娘でもそろそろ結婚することを考えなければなりませんしね。(p.236)

別れ話をするでもなしに、なんとなく離れ離れになりました。

ある日、いつものように指定された場所へは行かなかった。約束の時間が過ぎた頃。赤坂の家に電話がかかってきましたよ。それでも、わたくしは電話室へは行きませんでした。

取次の女中に、頭痛で寝ていると答えさせました。それから3日ばかり続けて、同じ時刻に、公威さんから呼び出しの電話がありましたけれども、わたくしは出ませんでした。(p.240)

・・・・・

何年か前に、威一郎さん(三島由紀夫の長男)が映画『憂国』のビデオを送ってくれたことがありました。

まあ、その映画の中の三島由紀夫の眼ね、それがわたくしの知っている公威さんと全く違うのに驚きましてね。

わたくしが逢っていた頃の公威さんの眼の澄んで、そのきれいなことと云ったら、言葉にも尽くせないほどでしたから・・・・・。

以前とはすっかり人が変わってしまったと云うことだけは確かだと思います。40歳を過ぎてからの公威さんは、あまり幸せではなかったかもしれない・・・・・とは感じましたね。

『憂国』の映画に映る、三島由紀夫の眼を見るのが辛くなって、すぐに消して仕舞ったんですが。

・・・・・・

 


貞子さんは三島の創作の原動力になっていたようで、彼女と付き合っていた頃、三島は「書けて、書けて、仕方がないんだ」という状態だった。彼女をモデルに『沈める滝』を書き、彼女との付き合いの中で経験したこと、見聞したことは小説に書いていた。

 それにしても、3年も毎日のように夕方から夜にかけて出かけて付き合いながらも、お互いの実家に行ったり、両親に紹介することはなかったようです。


【引用】

文士劇に出演するので、見に来てほしいと言われて、楽屋を訪ねると、狭いところに色んな人がひしめきあい、・・・公威さんのお母様も御機嫌好く座っておいででしたが、だれが誰だかわからないようなありさまでしたから、公威さんも紹介しませんし、わたくしも名乗りませんでした。

お母様をお見かけしたのは、このときが初めてでした。御目にかかって、わたくしが御挨拶を申し上げたのは、公威さんが亡くなりました後のことでございます。

お父さまには、ちょうどその頃、お目にかかっていますの。公威さんから、風邪をひいて熱があるから、すまないが見舞いに来てほしいと頼まれて、一度だけ、緑ヶ丘の御宅を訪ねたときのことです。

お母様はご旅行中とかでお留守、お父さまが一寸、出ていらして、公威さんに紹介されましたが、何だか、当惑なさった御様子でしたね。(p.191)

・・・・・【引用終り】


京都や熱海へ一緒に旅行に行ったり、仕事に関係する場所に引っ張り出されたりしているのに、家族には紹介しないというのが、ちょっと私には解せません。三島は、貞子さんが結婚する気がないと思っていたからなのか。

『ヒタメン~』の後半には、三島と家族ぐるみで親しかった湯浅あつ子さんのインタビューが載っている。湯浅さんは、三島の妹・美津子(17歳で没)の友人の姉にあたり、三島の両親にも可愛がられ、緑ヶ丘の家にも出入りしていた。

この人の話にもたいへん興味深いことが書かれているが、次にまわそうと思います。

三島にとって貞子さんとつきあっていた頃が、一番幸せだった。2人でいろいろな店に行き、おいしいご飯を食べて、芝居や映画を見て、さまざまな経験を楽しんだ時代だったのだろうと思う。



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紅葉の小石川植物園を歩く

2020年11月22日 | 花・植物

2020/11/22

 

屋外の自然を楽しむのはいいかしらと、小石川植物園に自転車で行きました。電車にもバスにも乗らずに行けます。

小石川植物園の正式名称は「東京大学大学院理学系研究科 附属植物園」。植物学の研究・教育を目的とする東京大学の教育実習施設です。ここはお気に入りの場所です。

 

左はソメイヨシノ林 

 

イチョウの大木

一面の黄色い落ち葉の道

 

落ちた銀杏 たくさんあります

初めて訪れたときは、こんな都会に広々とした自然があるのに驚きました。研究のため自然のままにしているようです。

昼でも暗い林 ザーっと通る風の音が全身を包む

 

コダチダリア 木立です。

温室の中。

 

芋虫感のある…多肉植物

シセントキワガキ。大きさはミニトマトくらいの柿の実です。

旧東京医学校本館(総合研究博物館 小石川分館)

ススキが風にサワサワと揺れる

沼の主のような鯉が顔を出す

 

 

メタセコイアの大木

 

ラクウショウ(ヒノキ科)

東京でも紅葉シーズン真っ盛りです。

遠くは行けませんが、街中で紅葉が楽しめました。

 

 

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赤い実

2020年11月21日 | 花・植物

2020/11/21

 

何の実だろうか

 

 

たわわな実

 

もみじも赤い

いい天気の休日です。

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ヤマザキマリさんの本

2020年11月20日 | 

2020/11/20

 

ヤマザキマリさんはほんとうにおもしろい。

テレビで時々拝見するが、お話もおもしろいし、書くものもおもしろい。だからテレビに出るのが前もってわかれば見てしまうし、本が出れば読む。そして、いつも裏切られることがない。

今回読んだのは『パスタぎらい』。


食文化に関するエッセイで、海外の食べ物、海外にいたら自分が食べたくなる日本食などが肩の凝らない文章で綴られている。

「イタリアに暮らし始めて三十五年。断言しよう。パスタよりもっと美味しいものが世界にはある! フィレンツェの絶品「貧乏料理」、シチリア島で頬張った餃子、死ぬ間際に食べたいポルチーニ茸、狂うほど愛しい日本食、忘れ難いおにぎりの温もり、北海道やリスボンの名物料理……。

いわゆるグルメじゃないけれど、食への渇望と味覚の記憶こそが、私の創造の原点――。胃袋で世界とつながった経験を美味しく綴る食文化エッセイ。」

この紹介文を見ただけで読みたくなる。

確かにマリさんはいわゆるグルメではないらしい。三ツ星レストランで、なにを食べたとか、そういうことは書いていない。その土地に暮らす人々が日常好んで食べているものが題材だ。

イタリア人と結婚してさまざまな国で暮らし、世界中を旅しているマリさんならではの経験の豊かさが話題の豊富さにつながる。

海外で食べたくなるものとして、ラーメンと書いてあれば、私もラーメンが食べたくなり、寿司と書いてあれば、寿司が食べたくなり、おにぎりとあればおにぎりが食べたくなる。

書いてる食べ物がおいしそうに思えて、欲しくなってしまうのだ。私の共感力が高いのか、いや、単なる食いしん坊なのか…

実際に私は昼ごはんはラーメンにしようと思って、スーパーに生ラーメンを買いに行った。マリさんが貧乏時代に食べ過ぎたせいであまり好きではないというペペロンチーノも、おいしそうに思われて作ってしまった。

興味をひいたものをひとつ紹介すれば、それはイタリア人のオリーブオイルへのこだわり。イタリアではどんな料理にも、サラダにも、煮込みにも、パスタにもオリーブオイルを使う。

使う品物が決まっていて、マリさんの夫の実家では、2世代前からお世話になっている農家で分けてもらっているそうだ。

「どんな高級で高いオリーブオイルを買っていっても、それで喜んでくれるわけではないのである。」「もし、普段使っているものが入手できない場合は、せめていつも使っているのと同じ生産地域のもの、それは厳しければせめてイタリア国内のもの、という優先順位になるだろう。」P.86

これはわかる。日本人なら味噌、醤油というところだろうか。私は味噌、醤油は特にどこのものというこだわりはないが、こだわっているのは日本茶。

「あとがき」に「古今東西の食文化の比較や考察をイメージしながら書き始めたエッセイ、もしあなたの口の中に涎があふれ出てくるような効果があれば、それはあなたの想像力を経由して、私の伝えたかった思いが届いたという証である」と書いてあるが、まさしく、伝えたかった思いが届いていると思う。

 

 

 

 

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