
学校も変わっていましたね。

リトミックは音楽教育であるという
目的の違いがあります。
音楽療法はセッションそのものを楽しみます。
教えることが主体ではないのです。
必要と思っていたけれど





2021/10/09
大学同窓会の支部会がホテルの中華レストランでありました。
支部会の開催は3年ぶりくらいでしょうか。昨年はコロナのために開催できませんでした。
私はこの会には3回目の出席です。支部会なので、出席者も15名とこじんまり。
個室でアクリル板越しの総会。
続いて会食。
料理写真1枚撮りましたが、シャッター音はするし、先輩たちが誰も撮っていないので控えました。
私にとっては久しぶりの外食、ホテルランチで、おいしゅうございました。
先輩諸姉のお話が歴史を感じさせて、非常におもしろかったです。
川をポンポン船に乗って学校に行った話や、雑司が谷霊園の話 ・・etc. 昔の珍しい話はなかなか聴けませんからね。
数年前に地元紙でインタビューを受けたことがあり、そのときインタビューをしてくださった方とも再会しました。
とても喜んでくれて、近況など報告。昨年はコロナ禍のなか、膝の手術とお腹の手術をして、1ヶ月入院していたそうです。やっと杖なしで歩けるようになったとのこと。
私とほぼ同年代の方ですが、健康は本当に大事だなあと痛感しました。コロナは人を運動不足にしますね。
ここに集まっている方たちは、ほとんど年上で人生の先輩。でも、皆さんお元気で溌溂としています。こんなふうに明るく元気に年を重ねられたらいいなと思ったことでした。
2020/02/09
新橋のホテルで新年会があり出席しました。
毎年ある新年会ですが、出席は6年ぶりになります。そんなに経ってしまっていたのかと月日の流れの速さにびっくりします。
少し年上ですが、素敵な方で、よくしていただいた方の年賀状に新年会に出席すると書かれていたので、私もお会いしたいものだと出席しました。
同級生ではなく、いろいろな年齢の方が集まります。人生の先輩方が多いので、将来についての話はとても参考になりますし、思うところもありました。時の流れ、変化も感じました。
ここのお料理はおいしいので、食べるのも楽しみの一つ。
卒業生のお嬢さんによるピアノとフルートの演奏も素敵でした。
最近はお知らせをいただくばかりの同窓会ですが、自分からもお手伝いをしたり、つながることをしていかないと、人のご縁は年々薄くなっていくものですね。
昨日は、大学同窓会の総会と講演会がありました。
講演会は、収納整理アドバイザーの芳賀裕子さんによる、『片づけは心の微笑み ~ライフステージに応じたお片づけ術~』。
芳賀さんは海外在住14年、引越し25回、国内外14件の家を住み替えを経験。
冒頭、「整理と整頓は違います」とのこと。どんなふうに違うのか。
整理とは「不用なものを取り除くこと」
整頓とは「見栄えよく整えること」
言われてみると、なるほど~と思いますね。
片づけは、次に使うときに取り出しやすくするための片づけなので、分類センスを磨くのが必要だそうです。
とにかく、家族みんなが、どこに何があるかわかる収納。そして自分の出したものは自分でしまってもらう収納。
流行の断捨離ですが、捨てることは最後でいいそうです。これ、ちょっとほっとしたかな。
芳賀さんは、実はカリスマ駐在員妻として有名ブロガーさんでもあるのです。
私は数年前、縁あって芳賀さんのブログを知り、時々拝見していて、どんな方だろうと楽しみにしていました。思っていたとおりの方だったという印象でした。
芳賀さんのお仕事HP → http://www.studio-haga.com/
今日は大学で同窓会のフォーラムがありました。
半年ぶりの大学、校舎前の銀杏並木も色づいてきました。

今年のフォーラムのテーマは「子どもからシニアまで楽しめるリズム運動」。
講師は天野式リトミック指導者の湯浅弘子氏。
附属小学校で、体育の時間にリトミックを教えて下さっていた先生です。
天野式リトミックは、天野蝶氏が昭和6年にパリのリトミック学校で習い、日本に紹介したもの。
天野蝶氏は体育教師だったことから、リズム体操として紹介されました。
私もリトミックを習っていますが、それは小林宗作先生が日本に紹介した音楽系のリトミック。
小林宗作先生は大正12年にパリのリトミック学校で学んでいます。
小林先生は、トットちゃんのトモエ学園の校長先生です。
日本のリトミックは、舞台芸術の基礎訓練として、舞踊界、演劇界にも取り入れられました。
日本では音楽・保育関係者が習うことの多いリトミック。
海外では、舞台俳優、ダンサーの方の受講が多いそうです。
リトミックの創始者のエミール・ジャック=ダルクローズはジュネーブ音楽院の教授であり作曲家です。
音楽学生のリズム感をよくするために始めた方法であることから、
私はリトミックは、音楽的・ソルフェージュ的要素が強いと思ってきました。
と、そんな前置きで、天野式リトミックで動いてみました。
自分では、そこそこ知っているつもりでしたが、運動となるとできないことも多かった(´;ω;`)
理解できても体が動かないことがある。
右手2拍子、左手3拍子とかね。
(これはピアノ演奏の際に必要となる訓練なんです)
それが2時間、正直、疲れました~(笑)
先生がおっしゃった「リトミックは脳トレです」は、まさしくそのとおり。
脳と筋肉がフル回転しました。
さて、このフォーラムのようすは、縦の会では初めてプロによる動画撮影をしました。
編集後にYou Tubeにアップされ、ホームページの会員専用画面から見ることができるようになりました。
長い間の願いだった、講演会・フォーラムが動画配信ができるようになり
昨年3月まで縦の会のHP係として携わってきた者にとっては、夢のようです。
2017/09/28
大学同窓会主催の講演会に行ってきました。
講師は聖路加国際病院顧問・小児科医の細谷亮太先生です。
細谷先生は著書も多く、絵本や俳句集も出していらっしゃる文筆家でもあります。
細谷先生は、20年間「暮らしの手帖」にエッセイを書いており、ときどき拝読していました。
ご専門は子どものガンと、ターミナルケア。
昔は、まだ子どもにガンの告知することはなかったそうです。
1982年に翻訳『君と白血病 この1日を貴重な1日に』(医学書院)を出版した時には
偉い先生から、「本人・親御さんが詳しく知っては、やりにくくなる」と批判もされたとか。
しかし、苦しい検査も治療も何のためであるのか話したほうが、取り組む気持ちになって、
予後もよいそうです。
告知する時には
・うそはつかない
・わかりやすく
・あとのことを考えて
パワーポイントで映し出された画面の文字が、たぶん先生ご自身の手書きでしょう。
見やすい、まるで「暮らしの手帖」の見出し文字のようで、いつもパワポといったらパソコン文字ばかりなので新鮮な感じ。
子どもに伝える時に、このようなわかりやすい文字を見せているのであろうと思ったのです。
先日亡くなられた日野原重明先生のお話も出て、意外な一面を知りおもしろかったです。
ギョーザをご馳走になった家庭のお話を伺っていて、深い悲しみを軽いユーモアで包む、そのお話にじんわりこみ上げるものがありました。
お話を聴いているうちに、私が静岡の子ども病院でリトミックボランティアをしたときのことや、当時、リトミックを習いに来てくれた子たちが、子ども病院の医師のお子さんたちだったことに重なりました。
病気の子どもたちと接し、医師のご家族の様子の一端を知り、あのような経験をさせていただいて貴重だったなあと思いました。
講演会の終わった後に清々しい気持ちがありました。この気持ちは、すばらしいコンサートを聴いた後の感じと似ています。
たぶん、幼くして病にかかった子どもたちに対する先生の慈しみと、多くの死に接しながら、悲しみを越えた境地に至った雰囲気をお持ちになっている、その雰囲気に私は感応し、感動したのだ、と思いました。
卒業生の会の会報誌「絆」に6月3日の講演会の感想文を書くように、先日来、頼まれてました。
文章を書くのは嫌いではないので快諾しましたが、このブログのように好きに書き散らすのと、
1000人を越える先輩諸姉が目を通し、記録に残るものでは重みが違うので、
慎重にならざるを得ません。
1時間半にわたる講演内容の全てを書くのも無理ですし、
レポートではないので配布されたレジュメの丸写しも味気ない。
講演会の内容の一部分でも取り上げて、自分なりの視点で感想を書かないと。
講演会のことをいち早く記事としてブログに書いておいたのは、
忘れないように、とりあえず記録しておいたのでした。
与えられた字数になんとか収めましたが、もっと寝かせておいて、
他の関連本も読み、熟考したほうがいいのではと思いながらも、
7月15日の締切りよりだいぶ早く提出しました。
やってしまって一刻も早く、そのことから開放されたいという性格。
以前から、いろいろと早いですね、と言われた事はありますが・・・
要するに、早とちりの慌て者ということですね。
印刷、配布は9月中旬と、まだかなり先のことです。
2017/06/03
今日は大学で、卒業生の会「縦の会」の総会と講演会がありました。
今年の講演会のテーマは『今、いじめ問題を考える』
講師は臨床心理士、東京都公立学校カウンセラー、日本女子大学非常勤講師の浅岡鏡子先生。
お話の内容は、
Ⅰ いじめとは Ⅱ いじめの実態 Ⅲ いじめ問題の背景 Ⅳ いじめ防止に向けて
最後の質問コーナーのお答えで、
(ああ、やっぱり現場にいらっしゃる先生ならではの発言だ)と感じました。
「いじめは未然にふせげるのではないか。」という質問に対して、先生が、
未然に防げるというのは目標(理想)である。
いじめは誰にでも起こりうること。
いじめる側にもいじめられる側にもなりうる。
なかなか解決しない、到達点はない。 と答えられたことです。
そんな簡単なものではないとは、おっしゃらなかったけれど、現実はこうなのだと感じました。
「いじめを学校の問題ではなく、家庭・地域の問題として捉えたらどうか」という質問に対して。(先生がスクールカウンセラーとして、学校中心に話されたので)
「家庭に問題があるとは言わない。
誰かを責めても意味はない。(わかっていて逃げる親もある)」
「原因探しに持っていくのではなくやるべきことは、いじめられている本人がどうなったらいいのかということ。本人がどうしたいか、誰かに相談できるのか、いじめている相手にどう対応できるか。
自分で自分の行動を動かしていく。自分で解決する力を引き出すのです。」
「一緒にやっていこうという姿勢でいく。1人では元気が出なくても、つながると元気が出るものです。ちょっとでもいいことがあるように、小さなことを積み重ねていく。」
この言葉に、なるほどなあと思いました。
先生や親が守っても助けても、本人に解決していく力がつかない限り、いろいろな抜け道もあるいじめは解消が難しい。
どうしたらいじめをなくせるかとは、誰でも考えることですが、複雑な要因が絡み合い、こうすれば解決するという単純な方法はないのでしょう。
難しいけれど寄り添っていく姿勢、いじめにより失われていく自尊感情を高めていくような寄り添い方が必要なのだと思いました。
総会・講演会で、1年ぶりに係のJさん、副会長さん、他の委員さんたちにお会いして、変わらず活動い力を注いでくださっている皆さんの姿を拝見して感謝でした。