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マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

ふり返る令和4年6月の介護まとめ

2025年05月21日 08時02分53秒 | むびょうそくさい(おかん編)
おふくろの介護に大阪・住之江に戻ることは、もうないが記憶は記録。

ふり返る際に思い出したい事項は書き記しておく。

3日、奈良市内の気温は真夏日の30.1度。

訪れたときのおふくろはベッドにもってきたモノを整理していた。

その際、落としたゴトンの音で目が覚めた。

先日ビッグエクストラで買った790円の青肉メロン。

半分を食べやすい大きさにして持っていったら、1個は寝て・・・食べる。

座った方が食べやすいと思ったのか、ずっと座っていたお部屋の窓は開放。

気持ちいい風が吹きぬけ・・・さわさわ・・

私設入所に新しく契約交わす訪問往診医科の神戸医師。

2週に一度の訪問診療をKさんに契約日付。

連絡者・押印(※ハッピーガーデン西ノ京に預けている印鑑を利用者、家族とも同一印提出)確認し。

私らが、入室したら、美味しかったわ、とすぐ食べたようだ。

食は旺盛、施設の食事も旺盛。



また、訪問リハビリしていることから深夜トイレ起きに痛い、痛いと訴えていたが、ここんとこずっと訴えることもないようになった、とKさんが伝えてくれた。

10日の面会。

前日の9日に、あゆみのKケアマネジャーさんからのLINE報告は、廊下を老人車で押してリハビリしていたようだ。

また、Tリーダーからの話によればテーブル、ここがいちばんにぎやかで明るい。

入居者のみなさん褒めるおふくろ。

例えば、あんたは肌の艶がいいとか、笑顔がえーとか・・・

本日、10日にしていた職員打ち合わせに、私らも褒めることせなあかん。

見習わなあかん、と檄を入れた、というのも頷ける姿を今日は見た。

と、いうのも厨房に入られた女性の調理師さんにも手を振る

その相手がおふくろだった。

ハッピーガーデンの設立と同時の入社し、今年で10年にも、定年ないから元気が衰えるまで務めるというTリーダー。

昨日は医師の訪問診察。

元気な様子に感心する医師に、肩をもんでもらったと喜ぶ。

今夜はぐっすり眠れます、といわれたようだ。

今日の土産は、かーさんがニッセイ友達と出かけた京都土産の生八つ橋。



手渡した生八つ橋を2個もぺろっと食べた。



しょっちゅうこんでもえー、と思っているが、寂しいから来てほしい気持ちもある、と・・・



前回云うたかんぴょうが入っている巻きずし、次回は必ずもっていくと・・・

17日の午後2時現在の気温は31.6度。

湿度も高い上に気持ち悪い。

生温かい風が原因に熱中症になりかねない今日。



行けば、丁度白紙ペーパーにカップに盛ったかき氷の絵に色鉛筆で塗り絵をしていたそうだ。

今まで断っていたが初体験に拍手した。

ならコープに売っていたおふくろ希望のカンピョウ入り巻き寿司を持っていき、食べてもらったら喜んでパクパク食べた。



1個、2個にしときやの声は聞こえたが、3個目も手にしかけたので、晩御飯が食べられんようになるからと戻させた。

リハビリは順調。



部屋内を数回。

老人車を押して数往復できたという。

廊下もいけたようで、今日は玄関まで歩いていこうか、というまで進歩したようだが、それは施設の許可を得ないと・・・

ビックリしたのはもう1件ある。

いつ戻れんやろか。

前回訪問の際にもそう言ったが・・・・

戻る場所はもうないよ、と言いたかったが順調仕上がりの訪問リハビリに影響与えたらあかんので、ぐっと我慢。

たぶん、おふくろは病院に入院中と思っているのだろう。

治ったら戻れると認識している可能性があるが、実はそうではなかった、とも考えられる。



来週のリハビリはO療法士の都合かなんかで、24日の金曜午後5時に日延べ。

次回のハッピーガーデン西ノ京訪問はその時間に合わせてみよう。

24日、訪問リハビリを実際にされているところを拝見できる、と思って訪れたが、事情が代わって昨日になった。

下まですいすい動かす老人車。

ずいぶん慣れたようだ。



かーさん友達からもらった山形産のさくらんぼ。

数個、口にして・・・甘くて美味しい。

ひとつだけ種までごっくんしてしまった。



夜のトイレ回数が6回もあると夜間対応に独り介護では難儀と伝えられた。



水虫薬は今度来られる往診医師に伝えて処方してもらうらしい



ちなみに、TOPの写真は、今月の9日に撮った青い空にぽくぽくわきだした白い雲。

暑い夏がやってきた。

夏がくる、夏がくる、雲がわく、ワクワク感もあるが、熱中症に気をつけてね・・・

(R4. 6. 3、 9、10、17、24 SB805SH 撮影)

ふり返る令和4年5月の介護まとめ

2025年03月30日 07時54分07秒 | むびょうそくさい(おかん編)
おふくろの介護に大阪・住之江に戻ることは、もうないが記憶は記録。

ふり返る際に思い出したい事項は書き記しておく。

5月2日。

介護保険・要介護状態区分変更通知書が届いた。

判定は要介護4の決定通知。

併せて、保険者証が届いた、とケアマネージャーが属するケアプランセンターあゆみに伝えた。

かーさんが撮った画像は、すぐさまケアマネージャーのKさんに送り、確認された。

5月入ってから家族さんが、ハッピーガーデーデン西ノ京に行かれる際は、認定証を提出し、控えにコピーをもらうようにお願いしてください。

その際には、同行しますので、ご連絡ください、と・・

6日、要介護4認定が決定した介護保険被保険者証を持参する。

あゆみケアプランセンターケアマネジャーのKさんが確認。

LINE画像でも確認し、訪問介護ハッピーリハビリ&ナースステーションの理学療法士Oさんにメッセージを送って、確認したそう。

ハッピーガーデン西ノ京Tさんに提出し、控えのコピーを受け取った。



Oさんのリハビリ訓練を受けて、手を前から支えて歩行練習に苦もないおふくろ。



外の景色を見られるよう、デイサービスにも行けるよう、目標を設けて、ぼちぼちお願いします、と伝えた。

と、いうのも大阪住之江暮らしの際にリハビリしてもらっていた介護施設。

喜んで通っていたデイサービス。

リハビリ運動をしていた新人職員。

無理がたたったのか、あるとき圧迫骨折に陥った。

急ぐ気持ちに、当時も超後期高齢者のおふくろの容態がわからず、無理なリハビリ運動をした結果。

施設からお詫びはあったが、1カ月半の入院に余儀なくされた。そんなことがあったので、今回の契約時に家族からのお願いをしていたのだ。

今日にかけるカレンダーは、勝手な位置に掛けることはできない。



家族さんが、この位置なら見やすいでしょ、と入所者の意思を乞うわけにはいかない施設の壁。

つまりは部屋全体であるが・・・

施設側が、設置した固定フックにかけさせてもらった。

持参した地デジテレビは、コーナー移動。

レイアウトも若干替えた。

一応、確認したおふくろの携帯電話。

家族とか親族、友達との交流に使うから、置いとくね、と話したら、もう要らん、という。

携帯電話は、かけることはないし、鳴ってくるのは私の従妹たち。

かつては長時間の会話もしてきたが、そんな気力はぽっかり消えたようだ。

おふくろの意思は、もう解約しといて・・・である。

使わなくても使用料は、毎月の請求が自動引き去り。

契約していた携帯電話の解約承諾をとった。

近いうちに、電話で問い合わせて手続きする、とかーさん。

帰りしなに伝えた甘くて、美味しい果物を持ってくるけど・・どう、と云えば、古都華が美味しいからあるうちに食べたい・・・

時季的に、古都華は難しい。

夏場に入っていくから、とても甘い桃太郎とまとは、いかが・・・

とまとは要らん。果物を食べたい。

マンゴーは高価だから、買えないがメロンならいい。

小さく切ったメロンを食べたい、と意思表示ははっきりしているから、頑張ってなんとか見つけてくるわ、と伝えて、バイバイした。

12日の面会。

リハビリ運動に老人車を利用。

筋力の衰えがみられるので、今後は筋力アップに、と伝言メモにあった。

新聞紙を折りたたんで何かを作ろうとする機能回復プログラムに、入居者がしている動作をずっと見ているだけだったが、気持ちはどうもやりたいようなので積極性が出るよう今後も奨めます、と伝えていた。



右横に置いてあった「お誕生日 おめでとうございます」のメッセージは、週に一度に来られる理学療法士Oさんからのプレゼント。

実は、おふくろの誕生日は、先月の後半。

期日は、通り過ぎたが、翌月の5月に祝ってくれた97歳のおふくろ。

入所が先の先輩たちからも祝ってくれた、と職員さんが伝えてくれた。



午前中に買い出ししていた産直市場のよってってに立ち寄り、買ってきた古都華。

お昼ご飯の前、先に口にした8粒の古都華は甘くて美味しい。

ぺろりと食べたおふくろ。

甘いのもあれば、酸いのもあるとわかったようだから、おふくろの味覚は衰えていない、とわかった。

13日、ハッピーガーデン西ノ京に入居中のおふくろに大和郡山市役所から届いた後期高齢者医療保険料の変更。

大阪から転入した際、令和4年3月までの令和3年度分は、4月に通知したが、その時点では大阪の所得内容の回答がないため均等割額48100円だけで計算していたようだ。

市町村より回答が届いた所得割額が118764円。

その結果、年間保険料が166864円になり、3月からの加入なので月割り額は13900円。

よって4月の普通徴収は4000円。

5月は、9900円になり、その金額を振り込んでください、という文書である。

この日、直ちに振り込んだが、年金から毎月の徴収自動払い対応しないと毎月にいちいち振込しなくちゃならんので市役所に出向き自動振込できるよう、後日に手続きしないとあかんな、とかーさんがいう。

16日の面会。

本日は、理学療法士のOさんによる入所先訪問リハビリ。

回数にしてまだ3回目である。

夕方に入ったTリーダーからのLINEメールが届いた。

Oさんが、「どうでしょう、デイサービスを受けたいですか」と、尋ねたら、行ってみる、と・・・

すごい回復力のおふくろに驚き。

気持ちも良くなり、身体も動けるようになってきた、と自分でもわかるようになったんだろう。

挑戦したい気持ちになったのがとても嬉しい。

Tリーダーから、一度お試しのデイサービスを組んでみましょうか、というメールである。

かーさん、と相談。

状況、状態を判断できるTリーダーに、よろしくお願いすることにした。

訪問リハビリの目的がそうであるから、Tリーダーにお任せである。

試験運用に前向きになったおふくろの気持ちも汲んで、お願いした。

お試しデイサービスは5月19日の木曜。

短時間の見学レベルになるのか、それとも試しにフルコースになるのかも、よろしくお願いします、と回答した。

19日は、初めて体験するハッピーガーデンのデイサービス行き。

デイサービスの内容はテストケースであり、詳細はデイサービス施設を含め、家族にはまだ伝えられていないが、本日、19日・午後3時半にLINEメールが、あゆみケアマネージャーのKさんから伝わった。

その連絡によれば、手作業にフラワーアレンジメント体験。

レクレーションには気が乗らなかったようだ。

あれこれどういう具合のプログラムがようわからんけど、今日はどうでしたと質問を受けたおふくろは、「うるさかった」の一言。

32人の利用者数は、幸寿苑よりも少ないらしいが、部屋の環境もあるし、ケアワーカーのサービス・質もあるし・・・

Tリーダーと介護福祉士のKさんがまた、意思を確認し継続意思の有無を探るようだ。

20日の面会は、午後3時から4時半まで。

食後に、ある入所者が、一生懸命に新聞折りをしていたらしく、ずっとその仕草を見ていたら、目がショボショボしたらしい。

座っていたら、肩も腰も痛くなったから、部屋に戻ってベッドに横なって休んでいたところに訪問したようだ。

かーさんの顔を見て、名前を言ったからほっ。

2日前に買った完熟マンゴーを寝ながら食べて、美味しい、甘いと。

寝ながら食べたせいもあるのか、8個入りの半分まで・・で、もう食べられん。

持って帰って、と口に出た。

入所者が部屋で食べた私ごとに持ち込んだ食べものは、施設ケア上、職員にかかる負担は避けて、また部屋には私物の冷蔵庫は設置不可の規定。

だから、持ち帰ってもらうが、家族さんが遠い場合は面倒みている、とTリーダーが話してくれた。

大阪住之江・松原眼科に通院していたころに処方してもらっていたヒアルロンサン液は、当分はもつ。

空になる場合は、ハッピーガーデン西ノ京の往診してくれている大森医師に処方してもらい、西ノ京で使用することも可。

市販品目薬は不許可、ということだ。

前日の19日に初のデイサービス丸一日体験は、ハッピーデイサービスセンターで行われた。

別途にハッピーリライフ施設もあるが、こちらはもっと身体が動ける入所者目的施設。

主に、リハビリが中心の施設。

そこには入所者のタキさんが行っているようだ。

おふくろは車椅子に座ったままの送迎移動。

施設では、普通のイスに座って6人単位の小グループ活動。



Tリーダーの話しによれば、赤膚焼窯がある施設に陶芸・書道・絵画・置物制作もあれば、カラオケ・マッサージなどのレクリエーション体験もある。

また、フラワーアレンジメントもあるデイサービス活動。



この日はグループの人たちが、させてくれた生け花。

未生流・池坊?の先生が就くらしい。

成果物は、おふくろの入居室に美しく飾ってもらって喜んでいた。

デイサービス会場は6人✕10グループ。

前日に立ち会ったあゆみケアマネージャーのKさんの話しによれば参加者は32人。

何を勘違いしたのか、百人もいるとか、千人もというのは大袈裟だが・・

ざわざわしているし、プログラム時間が決まっているから流れ作業的に落ち着く間がない。

バタバタ過ごしたデイサービスに懲りたようで、継続を尋ねられたが、断った、という。

おしゃべりできる人がおれば違った思いになったかもしれないが・・・

一週間に一度の訪問リハビリ。

取り組みに車椅子に乗らんでも歩きたいというから、気長に取り組みを、とTリーダーも同意見。

西ノ京の食事はマンネリ、季節に応じたイベント日には特別な食事はあるが、日々の食事内容はかわらん、と憤懣したおふくろ。



今日も訪問リハビリ報告シートに、見たよサイン。



それはえーことだけど、どうやらうちだけがしているようだ。

27日、前日に入店した旬の駅トドロキタウン店に480円で売っていた赤い色のメロン。

コクのある強い甘みと芳醇な香りが特徴の赤肉メロンであるが・・・

レジに尋ねたら、店長に問い合わせた結果を伝えてくれた。

甘み数値は、スマホで判読できるが食べごろは湧かない。

尋ねた結果は、できる限り柔らかそうな感じ。

腹部分を押さえたら、他のメロンは固いが、それに換えてもらったメロンが、なんと、とても甘くて美味しい。

甘い、甘いとペロッと食べたおふくろ。

液体もジューシーらしく、それも甘くて美味しい。

で、今日の昼は、何食べた、と聞けば蕎麦だという。

えっ、である。

事務所に書いてあったメニューに蕎麦はない。

あるのは鶏料理にあんかけ冬瓜など。

もう一度、尋ねたら焼きそば。

どうやら認知症の匂いがするが、食事はよほどの特徴があり、好みだったら覚えているらしく、そんな状況は入所者にみられる傾向だと職員は話してくれる。

で、普段なら30分もかかるが、今日の食事は口にあったらしく20分で済ませた、と伝えてくれた。

今週の訪問リハビリは老人車を自力で押し、歩けたそうだ。

外の景色が綺麗だった、というおふくろ。

今日は、待った、待った。

10日も顔を見てないからどないかしたんかいな、と思い込み。

職員さんに電話をお願いしたようだが・・・

リハビリ運動は、今日で6回目だと数えられるが、待ちきれん場合の日数は数えられないので、面会に来た日にカレンダーに入れた〇印。

わかってくれるかなぁ。



相変わらず新型コロナウイルス関連の報道がテレビで届けている。

テロップにあるように、新規感染者が60人台になるのは、今年の1月9日以来、約5カ月ぶり・・・

収束への導きになれば、いいのだが・・・

※ 冒頭の写真は地元産、佃農園が生産した苺・古都華です

(R4. 4.30 SB805SH 撮影)
(R4. 5. 6、12、20、31 SB805SH 撮影)

ふり返る令和4年4月の介護まとめ

2025年02月11日 07時54分15秒 | むびょうそくさい(おかん編)
おふくろの介護に大阪・住之江に戻ることは、もうないが記憶は記録。

ふり返る際に思い出したい事項は書き記しておく。

1日。入所した介護施設。

寒いとおふくろが願った毛布をもっていった。

起きてはいるけど、横になっていた、という。

朝の食事を済ませたら、眠くなったこともあるが、何もすることないし・・・

寝る、起きるはこれまで通り。

特に困るようなことはないそうだ。

面会終えて自宅に戻ったら大阪市介護認定センターより届いた封書。

前月に要介護認定申請した結果は、要介護2を通知する封書だった。

2日。昨日まではみなと会話もあったが、今朝になっては起きもしない。

お腹も減らない。

横になっていると伝えてくれたおふくろの容態。

部屋に入ってみたおふくろの様相は、まるで老衰状態かと見間違えるほど、目は小っちゃく開けるのもめんどくさいような・・・・

入居してからずっとテレビなんぞ見たくないと・・・

5日、前日に届いた介護保険負担割合証が市役所から届いた。

そして、今日は後期高齢者医療保険被保険証が届いた。

前回訪問時は寒い、寒いとベッドの横になったまま。

今日もそうだ、というTさん。

ベッド横になっていいたが、目は起きていた。

前回同様、エアコンを動かして暖房する。



自分で起きられる、というし、車椅子も乗れるというから手放しで喜んだ。

が、なんの、なんの、腰が重たい。

膝を曲げる筋力衰えに、移動手すりに掴まろう、とした。

が、足置きを外していた車椅子に移乗させようとしたが、自力では無理。

手をベッドについたまま、身体が斜めでは身体を支えるのも難しい。

体力低下は3月1日の入院・退院・入居を経たが、リハビリ運動プログラムは組めない現状にこれは・・・

あとでTさんが甘えさせすぎたかもといわれたが・・・

たとえ1週間に1日、なぁ半日でもえーから、と促すが、自ら歩行器も動かす気力もない。

車椅子生活に慣れてしまい、なんとしたい気持ちも失せた。

なんとか車椅子に移乗させ、農家栽培苺の古都華を買ってきた6個。

こんな甘い苺、とても美味しいから、とペロリと食べた。

欲しいもんは、あるかといっても要らん。

数日前のこと。

介護施設の運転手さんと二人だけで、細かい雨が降る日に連れってくれた桜見が良かった、という。

山の方にいったというが、そこは慈光院周囲に咲いていた桜だそうだ。

実弟次男らが今度の日曜に来ると伝えたら喜んでいた。

気力が喪失していたおふくろ、最後に頑張ってみるわ、といってくれたのでほっとしたが、ケアプランはこれから・・・



6日、つい先日まで入院していた田北病院がコロナウイルス感染症クラスターに・・・

テレビのニュースで知った、その概要は感染者確認

8人の入院患者に職員数は7人



まさにクラスター。



ケアプランセンターあゆみケマネジャーKさんから連絡があった区変依頼。

その対応に認定調査日程を相談した結果、この週の4月12日の午後1時半は、いかがでしょうか、と・・・

ですが、その日は私が通院している病院の循環器内科の通院がある。

診察終えて、戻ってきたとしたら午後3時ぐらいなら間にあう。

再認定調査のために就く家族さんはもちろん。

調査員に介護施設側も了解をいただいた。

10日の気温は、ますます上昇し27.7度。

これからは暑い日が、繰り返すことだろう。



カナダの国から4月8日に戻ってきた息子の次男は、新型コロナウイルス対策措置中である。

帰国したその日から1週間は、どこへも行けない外出不可、待機期間中の身だけに今のところはお家の留守番。

近々、介護施設に居住するおふくろに面会したい、と伝えてきた息子の次男。

そのつもりだったのが、暗転。

娘のA子の娘。

つまり、おふくろから見れば孫になる子供が、コロカ禍に巻き込まれ陽性の判定だった。

その場合であれば、父母両親は検査を受けなければならない。

さて、親の検査結果が求められる。

結果は・・・・。

二人とも陽性。

り患していたんだぁ。

おぉー、なんということだ。

事実を聞かされておぉぅー、であったが、この一週間前に隔離から解き放たれ、と・・・

息子の次男も隔離、実弟次男の家族も1週間の隔離。

ようやく解放され、やっとおふくろの面会に立てる夫妻。

兵庫県・神戸より電車でやってきた奈良・西ノ京駅。

迎えにきていた私たちと合流した午後2時。

介護施設での面会は予約した時間内に終わらせなければならない。

5人の面会をするワケにはいかず、2から3人ずつに分けて面会する。

入口玄関に、まずは記帳。

名前・時刻に体温測定値を記入してから手指洗いに消毒液対策。

入室は3人まで入れ替わり。

次に面会する組は、打ち合わせ室にて待機。

居室に椅子を2脚用意してくれた。

Tさんから伝えられた、おふくろの状態。

38度の発熱38に、食欲が低下。

食事の際には、テーブルに顔を落としてひれ伏して寝てしまう。

食事は、介護職員のTさんがスプーンを口に入れ。

8分目まで、食べていたが、本人は全部食べた、という。

瞼は開けにくいから、横になっておふくろに寄りそうように近づけた次男夫妻の顔。

はっきりと認識したおふくろ。

買ってきた造花もあとから見た私の判定はうれしそうでもなかったようなそぶりだった。

反応もしたくない、やる気のなさは老衰に一歩近づいた。

Tリーダーの話によれば、概ねほとんどの入居者はだいたい1カ月間がそうなるらしい。

機嫌良くなる人もいるし、そのまんまの人も、みな同じよう状態になるらしい。

12日の認定調査はたぶんに介護4、若しくは5になるであろうと・・・

二人の面会を終えて、私が代わって尋ねた。

この前の苺、美味しかったやろ。

また食べるかい、と聞けば食べたいというから、次回訪問の12日にも同じ苺・古都華を買ってくるから、と言い聞かせた。

居室から出ようとしたら、「今日はありがとう、AもMさんも同じように来てくれてありがとう」、と声をかけていた。

12日も気温上昇した27.5度。

連日の暑さにへとへと・・

介護認定大和郡山介護福祉課から要介護2の控えを暫定認定決定通知書に渡されたケアプランセンターあゆみケマネジャーKさん。

当方は認定調査で変更になるから発行しない、とかーさんが電話で確認したらそうだったのに、なぜ家族には本物を提供しないのだろうか・・・

帰りしなにかーさんが伝えた今度の日曜日。

17日の午前10時に、東京から長男夫妻が面会に来てくれるょ。

また、カナダの国から戻ってきている次男も、今は外出できないから、我が家で待機中。

コロナ対策の結果が陰性なれば、同じ日に来てくれるよ、と伝えたら・・・思わずくちばしったおふくろ。

「生きているやろか」と、涙を溜めて口にした言葉。

思うように動けなくなった身体状態に自信をなくしたのだろうか。

これから訪問リハビリもしてくれるようになるから・・と、声をかけたが。



美味しそうに佃農園で買ってきた古都華苺をぱくぱく食べてくれたので、ほっ。



あゆみケマネジャーKさんも立ち合う、午後3時からの介護認定調査。

奈良市内から来られた、と思う認定調査員のKさん。

介護認定調査だから、おふくろ主に、介護側の施設担当者への質問。

テキパキと進めていく調査員。

決められた質問項目を、表情も変化なく質問する女性調査員。

まさにプロ的感覚。

Tリーダーも応える、施設における普段の状態も調査される。

現在もなお、ご本人におる車椅子移乗は不可だった。

自立歩行の不可ではあるが、認知の心配はなさそうに思えた質問。

その様子からみな揃って要介護4か5の判定が下されるだろう、と想定した。

15日の電話は、あゆみケマネジャーKさんより。

訪問リハビリにおけるリハビリ療法士が決まった。

現状の身体状況を診たリハビリ療法士によれば、完全に歩くことは難しいが、できる限りのことを、当方の気持ちは絶対視していない。

できる範囲のリハビリ運動をお願いした。

毎週の月曜日を充てる予定であるが、正式に契約してからでないと実施できない。

本日も、明日も、明後日も療法士の都合で契約締結はできない、ということから4月25日が初回になりそうだ。

その後の電話に、契約調印日は4月19日火曜の午後2時20分。

顔を見るなり「今日は孫の長男・次男がくるんじゃなかったの?」というおふくろ。

いやいや、今度の日曜日やで・・・

前回の面会に伝えた孫の来訪予定。

「それまで生きているやろか」、と泪流したけど・・

今日は、それほど愉しみにしていたとは、これまで通りのおふくろにほっとした。

話し相手に「誰もおらん、テレビを見ててもつまらんから、今、横になったばかり」。

「眠たくはないし、朝も昼も箸、スプーン使おうて、みな食べた」というが、介護支援は「してもらっていない」、と・・

2週に一度の往診日に内科医師の来訪。

やや白髪混じりのOクリニックの先生。

「腰やら、あれやら痛とうて、痛おうてなんとかならんのかい、と訴えてもなにもしてくれへんかった」。

「・・元気におってや」、といわれて返したおふくろの言葉が「あんたもな」、といってずっこけたTリーダー。

「今日はすこぶる元気なのでびっくりしている」、と伝えてくれた。

この前、ケアしていた「男の人、毛布取っ払って、なーんもいわんと出ていったまま、寒い、寒い」と、訴えても反応せずやったらしい。

前日の気温から急降下。

気温が一気に10度も下がった気温は18度。

そりゃ寒いハズだ。

我が家の部屋もストープに火を点けたよ・・・

今日は先日のTリーダーやケアアワーカーさんが、そろそろ暑くなってきたから冬物は下げ、夏物にもなるアイものの服など持ってきてください、と云われて持参したが、それでも寒い、寒いというから、室内設置のエアコンを始動した。

そのことはTリーダーにも伝えた。

コピー取得を失念していた市発行の7月31日まで有効の「後期高齢者医療保険被保険証」の控えを受け取った。

17日は遠路はるばるやってきた3人揃っての面会日。

東京から8時間もかけて前夜の6時に到着した長男夫妻。

宿泊した大阪のホテルを朝に出て、ハッピーガーデン西ノ京施設に落ち合った。

カナダの国から戻って帰国した次男は、あしかけ3年以上も日本国から離れていた。



東京からは、久しぶりに会ったお嫁さんに孫の二人が、ここハッピーガーデン西ノ京にやっとこさの初面会。



「元気に、きょう来たよ」と、おふくろに手を振る。

朝食済ませて談話室に居たおふくろを玄関あがったフロアに呼び出し。

顔を合わすなり、訴えていた右手の痛みが消えた。

今は、孫の顔を見て嬉しそうな笑顔になったおふくろ。

その歓びに、感じなくなった右手の痛み。

すっかり消えた、と歓んでいた。

顔も名前も覚えている孫だけになったとき記念の写真を撮らせもらう。

それぞれが所有するスマホやガラケーで撮る初の面会合わせの顔、顔・・。

次男は、わざわざカナダの国からお土産に、と持ってきてくれたカナダ産のメイプルシロップ。

歴史があるカナダ産のメイプルシロップをおふくろに食べてもらおう、ともってきたが施設管理ができない食物や食材。

この場で、食べきってもらうのが原則だけに、管理が不可のシロップは、おふくろに気持ちだけ伝えて、次の面会家族が来られる前に記念写真撮り。

介護福祉士のKさんにお願いし、お嫁さんのMちゃんが所有するスマホに撮ってもらった。

感謝、感謝・・・

長男とお嫁さんは、本日中に東京へ戻らなくてはならない。

面会を終えてお昼は予約している大和郡山にある食事処・季節料理「翁(おきな)」に向かう。

19日の面会は、リハビリ療法士との契約を伴っていた。

おふくろは、居室に横になっていた。

車椅子に乗れるか、と尋ねたら、すらすらすいすい自力で移乗したのにはびっくり。

ハッピーガーデン西ノ京に入所してから初めて見る元気な姿にTリーダーも驚いたくらい。

契約は個人契約でなく、事業所としての契約になる。

訪問介護ハッピーリハビリ&ナースステーションとの契約に立ち会った作業療法士のKさんに理学療法士のOさんの二人。

やっと契約ができたリハビリ療法士のOさん。

い、いつもこんなんじゃないですから、と思わず伝えたくらい。

契約は、週一回、月曜の午後2時から40分まで。

費用は、600円程度になるようだ。

契約終えて、看護師さんも来られるまで多少の時間。

コーヒーとお菓子を提供してくれたケアワーカーさん。

「そのコーヒーは、熱いけど美味しい。以前通っていた介護リハビリ支援をしてもらっていた幸寿苑、と違ってこれは美味しい」、という。

仕事が忙しく時間差あけて来られた看護士のKさんは、月一に、一回来られて診る訪問診察。

月一回に毎回が水曜日に往診。

午後の時間帯に診る時間は30分。

診察項目は、血中濃度や血圧測定など。

病院に入院したときと同じような身体計測に血圧など、細かい部分を聞き出し、リハビリすべき情報を理学療法士のOさんにつなぐ仕組み。

月に500円程度の費用がかかる。

これら契約締結に際しては、あゆみケマネジャーKさんが立ち合った。

なお、訪問リハビリの日程の都合上、同一日に負担が、重ならないよう入浴日を水曜、土曜に決められた。

20日、介護福祉士のKさんからのLINE伝達は、おふくろからの依頼。

その依頼とは「次男のYに、お小遣いをあげたって」と、いうことだった。

カナダの国から、わざわざ帰国してくれたんやから、交通費に充ててほしい、と・・・

23日もおふくろの面会に出かけた。



一時帰国に奈良の生家に滞在中の次男とともに入室した居住室。

実は、23日の今日は、施設が行う入居者の誕生会。

4月生まれのおふくろも該当する4月誕生会。

なんと、4月生まれはおふくろ一人だけだった。

兄弟施設であるハッピーガーデン京西から異動してきた40歳男性職員が提案したフルーツポンチ。

デパートで買ってきた8種類のフルーツを、見よう見真似でカタチを整えた職員。

上手い具合に盛ったフルーツポンチは、入居者のみなさんも、そしておふくろも美味し、美味しいと食べたそうだ。



特に苺が美味しかったというおふくろ。

どうやら美味しい苺の品種は「あまおう」のようだ。

面会に、かーさんは誕生日祝いのパジャマを買っていた。

おふくろが、孫のYに、費用がかかるやろ、と気持ち金額を、またカナダの国に戻る足代に使って、と手渡した封は結局1万円に・・・

27日は特になんもないんだが、おふくろの面会に東京から来てくれた長男夫妻に食べてもらいたかった料理がある。

かーさんの思いが募った調理は、茹で鶏料理。

クックパッドレシピを参考に調理した鶏肉を茹でるだけ。

タレで味付けする茹で鶏料理。



細かく刻んだ玉ねぎにニラ。

醤油、めんつゆなどなどで味付けたドレッシングみたいなタレは、ごま油が必須らしい。

トマトとキュウリを添えて、こんなカタチで食べてもらおう、と思っていたようだ。

で、今夜の食は、次男とともに3人。

美味しく食べたタレ付き茹で鶏。



29日の産経新聞。

朝刊掲載の「港町365」が伝える記事である。

「明日からは大型連休がはじまる。新型コロナウイルス感染防止のための緊急事態宣言もまん延防止等重点措置もないほぼ”制限なし”のGWは3年ぶり。業界見通しによればホテル、飛行機、鉄道など旅行関係の予約状況は順調。ハワイなどの海外旅行も増加。流通系では百貨店がビアガーデンを再開、物産展がはじまり賑わいを取り戻したかのように・・・とはいえホテルでは出歩かないステイプランが人気だとか。国がゼロコロナを声上げずとも多くの人たちは自生的行動を心がけている」、と書いていた。



写真は、19日に放送されたコロナ感染者症数値である。

30日も面会日。

受付に、顔合わせた女性ケアワーカー。

数日前の天気穏やかな日に車椅子にのったおふくろを坂道押し。

そのパワーをなんとも思わず、ハッピーガーデン西ノ京から近い地に咲くいろんな花をみてもらう屋外介護。

車椅子を移動しながら、お花見したおふくろ。

それは、それは、たいそう歓んでくれた、と伝えてくれた。

具合が悪かったときとはまるで別人のよう。

室内に入室しようとしたかーさん、立ち止まり。

入室不可なのは、ケアワーカーのIさんが、おふくろのトイレが終わるまで面倒みていたから・・・

午後3時、と思っていたかーさん。

それなら午後3時に入浴を予定していたが、他の入居者に入れ替わってもらったのでえ、ごゆっくり寛いでください、と・・

また、先日お持ちくださった綿の下着。

それに着替えたおふくろはかゆみを訴えることがなくなった。

繊維によって痒みを発症するケースがある。

着替えた結果は、痒みが解消。

そのおかげで、痒み止めの軟膏薬は無用になったようだ。

そういうことまできちんと伝えてくれるここハッピーガーデン西ノ京の職員は、常時にわたって気配りしてくれる。

先ほど顔を合わせた女性ケアワーカーさんも、私たち面会者が来られたら、すぐにおふくろの状態を伝えてくれる。

ケアワーカーのIさん同じく、元気になられてよかった、と話してくれる。

そのIさん、自宅に戻る時間を考えて24日の誕生祝いに撮った苺パフエを横に笑顔で歓ぶおふくろの姿を撮ってお友達写真をLINEに送ってくれた。

かーさんはその写真を、実弟次男のお嫁さんに転送。

先日、面会に来てもらったときはぐったりやったけど、元気な顔に。



以前、うちにいたときの状態にほぼ戻ったよ、と返してくれた。

(R4. 4. 1、10、12、17、19、23、27、30 SB805SH 撮影)

ふり返る令和4年3月の介護まとめ

2024年11月25日 07時49分04秒 | むびょうそくさい(おかん編)
この月もおふくろの介護の関係で大阪・住之江に行くこと度々。

記憶は記録。

ふり返る際に思い出したい事項は書き記しておく。

1日、真夜中のトイレに身動きとれなくなったおふくろ。

そのことに気づかず、長時間にわたって、トイレ室に籠らざるを得ない。

ところがどうにか、立とうとしたが、滑ったのか、それとも
・・・

かーさんの大きな声で判明したトイレ内に横たわっていたおふくろを救助した。

その後は、ベッドですやすや・・・

朝は5時半のおトイレ行きにも、自身の力では立てなくなり、座ったまま。

再び救助したが、この状態では再々発する可能性は高い。

二人で対応する自信ない。

昼間は、なんとかできたとしても、夜間発生には、限界を感じ、対応の判断は病院行き。

救急搬送をお願いした救急車コール


行先は、いわずとしれた最寄りの病院。

おふくろの身に何かが起これば、と考えていた田北病院に入院措置をとってもらった。



2日、おふくろが、以前の入院にお世話になっていたKリハビリ療法士にメールがあることを思いだしたかーさん。

メールを送ってから数時間後に返ってきたおふくろの容体。

入院した昨日よりかはお元気な様子です、と報せてくれた。

実は、今日も面会不可の病院対策。

面会不可の対応に、1階ロビーに駆けつけてくれたT看護士。

その応対は、病室に置いてほしい時計とか、着替えのセーターやパジャマをお願いした。

身体状態も報せてくれた、その容態に、現在は平熱状態。

ただ、吐き気を訴えられたので、吐き気止めを注射した。

食事が摂れないから、現在も点滴中の状況。

昨日は、入院措置にバタバタ。

入う院申込書以外の書類に押印代わりに記入した私のサイン。

そういえば、昨日の入院直後に検査されたコロナの再検査や骨折の可能性もある、と検査したMRIの検査結果は・・・

3日、見舞いに行っていたかーさんが、帰宅。

預かってきた展示物などの荷物を片付けてから尋ねようとしていたら、「おとうさんは、おかーさんのこと心配してへんのか」、と云われた。

先に聞くべきだったのが落ち度でもあるが・・・

着替え交換に、おふくろの様子を伝えてくれた男性看護士の話しによれば、朝は起きられなかった。

が、お昼はお雛さんの日やから、といって配膳されたバラ寿司は、ほとんど食べたようだ。

おふくろの点滴は継続中。

ベッドの横に簡易トイレを設置。

介助の手を借りて移乗し、排便したようだ。

排便処理に、おむつパッドを持ってきてください、と云われたが、スーパー松源の買い物に、上田診療所に薬をもらいに行ったので忘れてしもた。

コロナ検査は、発熱が続いているなら再検査するが、それ以外ならしない、とわかった。

また背骨のMRIについても、痛みを訴えないので検査は不要の判断をした。

4日、今日も入院中のおふくろ。

名は面会だが、逢えない、顔も見れないコロナ禍の面会は、病院職員(看護士・介護士も)を介して行われる、例えば着替えの洗い物と綺麗になった着替えの交換。



今日は、着替え交換対応におむつパッドやおしり拭きの持参。

私たちへの伝言も職員を介して行われた「元気にいているから・・・」。

食事は特に問題なくご飯も食べているし、口はちゃんと大きな声で話す状態。

熱がないから元気なんだろう。

右足が痛いと訴えているので、整形に診断をお願いしている。



オンライン面会を使用している病院。

端末は、1階ロビーに設置された。

その状況を知り、いつからですか、と尋ねたら、昨年の秋、コロナ禍が落ち着きしはじめてから設置したそうだ。

使用時間は、数十分単位。



予約のもと、交替してもらっているオンライン面会。

どうやら予約は満杯のようだ。

5日のこの日も看護士を介して面会の名の下に着替えなどの交換に、W看護士が着替え交換対応。

食欲はあるが、お昼に出たうどんは残した。

普段でも食べれるとき、お口に合った料理はぱくぱく食べる。

合わないときはそれほどでも、という具合だからある意味セルフコントロールをしているように思える、と伝えてくれた。

ベッドからポータブルトイレへの移乗は難なくしている。

多少、手を添えてということもあるが、今にもすくっと立ちそうな気配を示してくれる。

身体拭きし、着替えてからおもらしした。

水洗いしたが、お家で綺麗に洗ってあげてください、と袋に入れてある汚れ物を受け取る。

着替えは、足りますか、と尋ねたら、大丈夫な枚数を用意してもらっているので、安心してください、と・・

検査などで1階に下りることもあるので、今日持ってこられたマスクは助かります、と喜んでくださった。

入れ歯洗いの薬剤も必要ですから持ってきてもらって正解ですね・・・と、W看護士。

6日、初顔の看護士さん。

着替え交換対応に汚れものなし。

洗濯済の着衣持込の担当ではないから容態はわからないが、元気にしていると伝えてください・・云われて下りてきたようだ。

大阪におられるケアプランデイア1・ケアマネジャーのFさんに、電話で近況連絡をする。

入院直後に男性介護相談員に確認し、2週間の入院計画を立てた。

状況に応じてかかる更新の手続きをと思っており、それについては退院が明確になり、退院後の家族療養をみて区変するか、しないかの判断する考え。

また、入院時発熱による転倒と聞いているが、トイレ籠りに低血圧。

これらは申しておきますが、老衰の一過程と判断し、同じ姿勢をとれない。

つまり、脳の発信が遅くなるのは老衰に向かっている状況です、と伝えられた。

そうか・・・・

いずれ、内臓は動かなくなる。

最後は心臓も動かなくなる老衰状態になる可能性がある。

そういうことだから、体力・知力を消耗するデイサービスの回数を減らし、3回を2回、2回を1回に、脳の負担軽減をしなくてはならない。

老衰で気になった老人ホームを見学からできるところは、早めに決断され、登録を奨める。

現在3施設を、と思っており、それぞれの施設状況、受け入れなど。

その際、MARSに阻まれている。

施設によっては、“良”とする施設もあるが、ごく数か所。

半数が拒否している、と伝えたら・・・大阪では一切拒否なし。

大阪・西成から発症した結核症状は、戦後すぐの時代。

ある時代まで結核患者はあったが、現在はみなとは云わないが、ある程度の年齢者は結核菌を保有しているハズだとの認識を、受け入れている。

その件は、奈良とはえらい違いがあるとわかった次第。

それからしばらくしたら、田北病院のH介護相談員から電話があった。

今秋からのリハビリリの指示が主治医から出たので、お家での状態を伝えた。

パンツ型おむつの装着に、デイサービスの往復。

玄関アプローチの対応や廊下・手すりにリビング゙室までの導線に老人車を利用。

排便など排泄は、独りでできるようになる目標にしてくだされば、と伝えた。

その際、Kリハビリ療法士は過去数年間もおふくろを担当されていたので、ある程度のアドバイスはあるでしょと、伝えた。

7日、今日も、W看護士が、病棟から下りてきた着替えの交換対応。

着替えの持ち帰りは少々の量。

で、おふくろの現状を家族に伝えてくれる。

今日は車椅子に座って食事を摂った。

食欲がある。

朝の車いす移乗は、スムーズではなかったが、午後のタイミングでは難なくしたようだ。

右足の痛みは消えた。

リハビリ運動は、まだ入っていない、という。

その、実は・・・

介護認定の切り替えに、田北病院の介護相談員と大阪のケアマネジャー情報の連携が必要。

そう伝えたら、以前担当していたUさんではなく、今はHさんのようだ。

その旨、大阪におられるケアプランデイア1・ケアマネジャーのFさんに状況を伝えた。

入院直後に情報連携したHさん。

入院直後の治療期間は2週間の計画が出ていた。

状況に応じて、かかる更新の手続きは退院が決まり、退院後に家族療養になるが、その身体状況をみて区変をするか、様子見てから。

私が伝えるおふくろの状態。

老衰の一過程かなと考えられる。

同じ姿勢をとれないのは、脳の発信が遅くなっているから・・・

老衰は知らず知らずのうちに、本人も家族も気がつかず内臓が老衰に・・

病いでないのに、老衰の道を辿る。

やがて心臓も動かなくなり、亡くなる。

それが老衰。

家族さんにとっては、受け入れ難いことだが、これまで見てきたさまざまな要介護者からそう判断する。

退院されても元通りの動きにならないのはもとより、体力を消耗するデイサービスの回数は3回を2回、2回を1回に減らすこともしないといけない。

現状では手に負えない、というか、心労が絶えない家人が求めている老人ホーム。

現在3施設を登録した、他数施設も見学してきたがMRSA・感染に壁がある。

戦後にかかった大阪での結核病。

受け入れる施設もあれば、受理しない施設もある、と話したら、大阪では戦後に発生した結核感染者については特に受けないということはない。

大阪・西成区から拡がったとされる結核は、現在病理からとらえる大阪は拒否することはない。

奈良と違い、地域特性があると初めて知ったケアマネジャーのFさんに私だ。

それからしばらくした時間帯に田北病院介護相談員のHさんから電話があった。

主治医からリハビリ運動に移ってよい、と指示がでた。

これよりリハビリ療法士と相談のうえ、お家に帰っても独りでトイレができるように、デイサービスの送迎にもいけるよう、お家の環境に合わせて計画を立てるそうだ。

この日、次男が海外から戻ってきた。関空に到着した4月7日。



それから3日後に隔離措置。



10日に解放された、とこう通信してきた「公共交通機関利用不可の指示があるから関空まで、お迎えは必須」。

8日のこの日は、大阪・住之江に出かけておふくろの生前整理

もちろん、おふくろの許可を得てそうしている。

実弟三男と、そこで見つかった旧紙幣に旧い切手の他に、なんとおやじ・おふくろの結婚式写真が出てきた。

撮影場は、今もある住之江会館。

と、いうことは、式はあげたが、記念の結婚写真は撮っていなかったんだろう。

撮影日は、不明だけに・・

9日、天理よろづ検査を終えた直後に鳴った私の携帯電話。

発信者は、おふくろが入院中の田北病院。

何かが起こったのでは、とおそるおそる電話に出た。

そうしたら、受話器から聞こえてきたその声は、おふくろだった。

えっ、なんで?

そのクエスチョンに、と届けるおふくろの願いは、「海苔の佃煮を持ってきて」、と。

嘆願した声の許可は、主治医に確認した結果、「どうぞ、食べていいよ」。

と、いうことは元気な証拠だよな。

午後の3時55分からの面会に、病棟から降りてきた看護士さん。

なんと、身ごものK看護士さんが担当してくれた着替え交換対応。

もちろん、おふくろの要望を叶える買い物に海苔の佃煮。

持ち込みプラスに「かおり野」苺。

さらには、8日の生前整理に発見したおふくろの写真を託けた。

また、リハビリ運動目的に、今の東棟から、リハビリ療養棟の西棟に移る計画がある、と教えてくださったが、なんとKリハビリ療法士からメールを送ってきた。

その内容は、「昨日の8日から、リハビリ室で平行棒リハビリ運動を4往復もしている」と、・・・

余談な話だが、7日に見つけていた駐車場のお釣りボックス。

私は、無料であるから、すぐにわかった。

お釣りボックスは、領収書も併せて出力されるボックス。そこで見つけたお釣りは現金の30円。状況を伝え受付に受け取ってもらった。

10日。かーさんは、朝からネット探しに、仏壇の置き台に座椅子も・・・

で、置き場もかつてパソコン台、今はタブレット端末の充電場。

座椅子も折り畳み式にすれば邪魔にならんように片付けできるタイプでもあれば・・・

パイプ椅子は嫌いだ、と・・・

着替え交換にむかい看護師対応昨日持参した三重県産のかおり野イチゴはぺろりと食べたそうで・・

その味、たしかにいただきましたょ。

遅くなりましたが入院診療計画書の病名は「脱力、症状は下肢脱力・発熱、治療計画は発熱精査・リハビリ、推定入院期間は2週間、栄養管理のいつ陽性は有、その他バイタルサインや全身状態の観察を行い異常の早期発見に努める」

主治医のT医師に、おふくろの名前でサインする。

3月7日付けの、退院支援計画書は主に支援がHさん。

退院に困難な要因は、「入院前に比べADLが低下し、生活様式の再編が必要と予測。退院に関わる問題点は病状の不安。退院に向けた目標設定は介護保険など。開いたケアの準備。予想される退院先は在宅。退院後に利用予想される社会福祉サービスはデイケアサービス。福祉用具購入・貸与に。

病棟退院支援計画担当者は長のAさん。担当はHさん.

M看護士の話によれば、車椅子移乗は問題なく、西棟のリハビリ運動は、数日前からはじめた。

排泄はポータブルトイレの移乗も難なく動作できるが、おむつパンツの上げ下げだけは看護士が支援している。

立っているときも、ふらつきはないが、安全のためそうしている。

交換終えて車中のかーさんは、退院に戻ってきたら、就寝に横で寝てトイレ行き補助をしない、とあかんという。



写真は、美味しくて甘い酸味が少ない品種の「かおり野」苺。

前日の面会におふくろが願った海苔の佃とともに、看護士さんに託けた「かおり野」苺。

今夜のデザートに美味しくいただいた。

11日の午後。

入居希望登録をしていたハッピーガーデン西ノ京のリーダーTさんから、お部屋の空きができたので、入居できる、と電話があった。

早速、田北病院のH介護相談員さんに直接電話した。

おふくろの状態を確認した。

車椅子移動はできるから入居を許諾。

一方、事務担当のK介護福祉士と契約交わす日程は3月13日の午前10時より。

契約者、2人の保証人を立て、印鑑を持参。

おふくろの容態を鑑み、1階に入居を、と決まった。

その旨、大阪におられるケアプランデイア1・ケアマネジャーのFさんに伝えた。

その件について、Fさんが話す。

退院、則入居となるので、その時点で契約は自動消滅し、ハッピーガーデン西ノ京とは直接は関係のないあゆみ介護支援事務所のKさんが担当することになった。

ケアマネジャー関係の情報連携をもって移管される。

なお認定審査会は、今日現在まだ実施されていないが、たぶんに終えて、有効期限までに新介護認定書が届く。

その確認を待ってから転出、転入届けをすれば、自動的に市町村の福祉課に移る。

大和郡山市に転入届けをしたその足で市の福祉課に介護認定証の件を確認しておけばいい、と教えてくれた。

12日は、大阪・住之江に出かけて、続きの生前整理をしてくる。

今日は、整理の序段。例えば、タンスなどにしまい込んだ貴金属、金券、現金などもあれば・・

要は、廃棄するモノと、これは残すべきモノとの分別整理。

午前11時ころからはじめた作業は、午後2時半に終わらせて、奈良に戻ってくる。

そのワケは、田北病院にでむいて、おふくろの着替え対応がある。

K看護士の話によれば、元気、元気。

看護士さんらに笑顔をふりまき、ハイタッチするくらいの元気度。

看護士さんたちは、病棟のアイドルなんょ、と云っているそうだ。

傷みがとれ、開放されてからそんな調子のおふくろ。

西棟の4階、リハビリ運動をする室が閉鎖の場合はベッドの縁に掴まって屈伸運動。

廊下は、手すり付き移動具につかまり行ったり、来たり・・・

昨日に携帯電話して、と渡しておいたが、反応がない。

戻られたら電話するよう伝えてください、とお願いしたら、すぐにかかってきた・・・

今までは、ベッドに横たわることばかりであったが、今は座って、窓の向こうに見える幸寿苑を見ている。

ガラス越しに3人が、手を振ってくれるからこっちも手を振って・・・

誰としていたんや、と聞いてもわからへんって・・・

元気そうなおふくろの状態。

入院した3月1日が、3回目のワクチン接種だった。

入院措置が先行だけに、接種は見送り、というワケにもいかず、接種は中断にしていたが・・

この状態で元気であれば、デイサービスを利用していた幸寿苑なら可能では、と思われた。

接種を、打つ、打てない、打たないについては、病院の判断。

そのような判断で、お願いした接種券は、K看護士に手渡した。

なお、ワクチンの入手は、期間を要するので、すぐとはいかないが、接種できそうに決まったら連絡、できれば入院中だったらえーのにな。

午後3時50分、看護士応対の面会を終えて、帰宅したかーさんのスマホにメールがあった。

なんと、音声留守電を入れていたその声は、おふくろから。

開いてみれば、「Hさーん、連絡くださいーー」が、入っていた。

また、デイサービスに戻ることなく施設入居になった関係上、幸寿苑についても、契約解除となるため担当のUさんに電話で伝えておいた。

13日の今日は、退院と同時に入居する小規模住宅型有料老人ホーム・ハッピーガーデン西ノ京との入居契約書を交わす。

説明は、会計・契約担当のK介護福祉士が、説明された内容について確認した。

14日は、月曜日。ここの地域のゴミ収集の日。

まだ、おふくろが入院中の田北病院から緊急連絡があった。

急いで電話した小規模住宅型有料老人ホーム・ハッピーガーデーデン西ノ京。

その緊急連絡の件は、なんと、おふくろが入院している棟の2階で、入院患者さんがコロナ感染した、という通報に、リーダーTさんに伝えた伝言は、しばらく退院できないと思います。

そりゃぁ、えらいこっちゃって・・・

そうであれば、一週間から10日間は身動き取れないですね、仕方ないですね、と・・・

昼頃にもどったかーさん。

大阪阿倍野にある住宅管理センターに都合の日を伝え、生前整理の回収事業の方付けエースに可能日を確認した。

日程調整の結果。決まった日は3月22日の火曜日。

麻の10時からはじめて、午後4時に終えたい生前整理。

管理センターも、午前10時に、同時チェックができるような日時に決まった。

田北病院の受付は、昨日にコロナ感染者が出たとか、聞いていない、という。

えっ、なんで・・・

今日の面会とは名ばかりの着衣交換は、K看護士。

洗濯着衣の交換に、甥っ子がホンダ社の単車で来たときの写真プリントを手渡し。

おふくろの孫に当たる甥っ子なんです、といってお願いした。

で、コロナ感染者は、隔離は、検査は・・などを、尋ねた結果は・・・

おふくろが居た病室は棟の東の端。

発症した入院者は、棟の西の端。

フロア全員の検査をした結果は、すべて陰性とわかり解除したそうだ。

ひとまずほっとしたコロナ感染状況。

退院後は、急遽決まった小規模住宅型有料老人ホームのハッピーガーデーデン西ノ京。

退院はどうなんでしょう、と聞けば主治医からは退院許可がでているとか・・・

ご本人さんが、リハビリしてほしいと願われて、只今西棟に出向き、運動しているようだ。

15日、午前10時の電話は、デイサービスをしてくださっている幸寿苑のU相談員から。

送迎は基本、大和郡山市内一円まで、過去には九条に送迎者がおられたので、足を伸ばして近隣、近くの施設までの送迎もしていたが、現在は九条に送迎もなく、申し訳ないですが・・・と、回答。

ハッピーガーデーデン西ノ京さんは施設が近距離。

送迎者にとって、負担はないからと云われるが、遠くでなくとも季節、季節のいろばなに出会える走行中の窓景色が癒しでした。

もう戻ることのない幸寿苑デイサービス。

2年半にもわたってお世話になり、ありがとうございました。

スタッフのみなさま方にもよろしくお伝えくださいませと、お礼を述べて挨拶させてもらった。

正午前にかかってきた電話は、田北病院・Hさんが長期休暇のため、代行のK介護相談員からの連絡だった。

主治医から正式に退院指示が下りたので、ハッピーガーデーデン西ノ京に電話を入れた。

リーダーのTさんからも、部屋の準備が整っているから、いつでも構いませんので、具体的に退院日程を決めたく電話した、と伝えた。

家族さんの都合のいい日を教えてもらい、調整するので、伝えた日は、18日、19日、20日のいずれかでお願いした。



なお、退院にあたり、PCR検査もされるとのこと・・・

正午過ぎの電話は、長男嫁のMちゃんから。

退院に入居、および大阪・住之江にあるタンス、冷蔵庫、洗濯機などの撤去・撤収。

さらに、転出届などなにも支援できなくてごめんなさいって・・・優しい心をもお嫁さんの気遣いの電話だった。

午後3時40分の電話は、田北病院の代行のK介護相談員から。

入居予定のハッピーガーデーデン西ノ京と日程調整ができた、と・・・

3月19日の土曜日。

昼食も用意できているので、午前11時に田北病院の受付にお越しください。

それから支度を調えてもらったおふくろは、午前11時半ころに、荷物などとともに1階ロビーに下りて来る。

退院などの書類の確認に入院費などを支払い。

そのままハッピーガーデーデン西ノ京に向かう、と・・・いうことで。

午後4時の着衣交換・面会に、応対してくださるO看護士。

その際に伝えてくれたワクチン接種状況。

午前中に終わったコロナワクチン接種は、今のところ、特に問題なし。

接種済証は退院時にお渡しするそうだ。

午後5時、ハッピーガーデーデン西ノ京のリーダーさんに電話した。

入居当日はよろしく、お願いしますに、伝えてくれた。入居先のお昼は用意していますから、と・・・

入居当日は家族さんと食事もできる。

部屋若しくは談話室でも構わない。

持ってきてほしいのは昼間に着る衣服と就寝時のパジャマなど。

洗面具・水筒も持ってきてください。

車椅子は月500円レンタルで利用できる。

ベッドはある。

昨日現在の田北病院でのリハビリ運動では、U型手すり付き歩行器を使用している。

私どもからは、おふくろが利用していた老人用手押し車を持参する。

介護認定は3月31日まで。

認定更新中につき仮認定証を持参します。

また、Tリーダーからは、昨日に実施されたPCR検査。

田北病院の情報に、それは早すぎるから、退院前に再度の検査お願いした。

ちなみにワクチン接種は本日実施。

入居者のほとんどは老人性のためか腫れ、筋肉痛が数日間続いているが、入居日までには収まっていることでしょう・・・・

16日の着替え交換・面会。

O看護士に、お願いした預けモノ。

かーさん書いた手紙添えて従妹のきみちゃんが、生駒・高山に行われた「竹の寒さらし句会」に来た際に買ってきたお守り。

奈良・信貴山に行ってお参り句会。

お守りもあるし、生駒の高山せんべいのオカキも買ってきた。

それらはお菓子の詰め合わせとともに我が家に送ってきた。

それも預けた面会手段。

O看護士の話によれば、今朝はそんなに食べなかったが、排便したら食欲旺盛。

退院日は直接伝えてないが、入院から指折り数えてもうすぐだと認識しているようだ、と・・

17日、午後4時に出かけたDCMダイキ。

入居先に必要な簡易な部屋テーブルを探していた。

たまたま目にはいた、アイアンウッドテーブル。

組立は手ごわい。1時間も要したアイアンウッドテーブルは、ネームの通り、アイアンウッドだけに重たい。

不便なように思えるが、逆に軽ければ滑る危険性がある、と判断したアイアンウッドテーブル。

ついでに買ってきた家用の玄関椅子。

デサインに風合いが気に入った玄関椅子は、主に私が使用する靴履き用途。

腰痛の痛みに腰の不安定。

ふらっと揺らぎに倒れないように座る、いわゆる身体の支え補助。

また、一時的帰国している次男用のベッドソフア・シーツも買っていた。

18日、今日の着替え引き取りの応対してくれたN看護士。

明日の退院に着る服を預けた。

院内コンビニに売っているペリペリくっつく上履き。

おふくろに履いてもらう新しき上履き。

黒色を見本に、M看護士の足に合わせてもらって決定したサイズMを購入した。

19日、今日になって、ようやく田北病院を退院するおふくろ

付き添いに、K看護士が対応してくださった。

19日間も入院したいたおふくろを載せて、伺った先は、2年半もデイサービスをしてくれた幸寿苑に。

お世話になったお礼に手土産持参。

挨拶に出られたU相談員に、ケアワーカーのみなさん。

これより、行って参ります、と手を振った。

そして、新しく居住する小規模住宅型有料老人ホーム・ハッピーガーデン西ノ京。

リーダーのさんに、会計担当のKさんが迎えてくれた




20日、大阪・住之江の住居で毎日見ていたテレビを運んで、この部屋に設置した。

その際に、必要な長さ、つまりアンテナ延長ケーブルが要る、とわかった。

近くにあるジョーシン富雄南店で購入するDXアンテナ製2JW33SLSは3mケーブル。



価格は1620円。

さらに購入した安全防止に探した用具は、1738円で売っていた転倒防止ゲル・6枚入り。

ところが、運んできたAVD-TVTGCC40は、アンテナ接続が、たったの1本。

大阪でしっかり見ていたテレビは、地デジ放送。必要なのは地デジ放送だけでいい。

と、いうか、BS放送は、たぶんに見ない、と思う。

退院から、いきなり入居したハッピーガーデン西ノ京は、一度、見学に拝見していた施設。

前年の令和3年の10月20日、おふくろとともに拝見した施設見学

おふくろが見学できた施設は、後にも先にも、ハッピーガーデンしかない。

あの日に、ご縁をいただいたのであろう。

昨夜は疲れたのかぐっすり寝ていたおふくろ。

その前に着替えさせてもらったパジャマ。

廊下まで聞こえている咳き込み異常に違和感を持ったハッピー職員は喉を詰めてしまう、と思った痰の塊。

塊は誤嚥(ごえん)になる可能性があると指摘。

退院時からずっとお茶も飲んでいない水分不足が原因か・・・

夜中の零時に、トイレ行きましょう、と起こされて済ませたようだが・・・

数時間後の午前3時は、ぐっすり寝ておられたので起こさなかった。

が、朝の7時半の起床に、身体が重たく座らせるのに難儀したらしい。

パジャマの着替えした際も、動きは鈍っていたが、起きてからは動きがよくなるらしい。

どうやら、歯ブラシ立てが要るようだ。

ずっと車椅子に座ったままだから、尾てい骨が痛くなるので、ゲル状のお尻敷きも要るな。

時計は、持ってくるのを忘れていた。

朝、昼食とも完食したが、実は豚肉入り。

調理が巧いから気がつかなかったようだ。

だから、好き嫌いも牛肉よ、と伝えたらまんまと食べるだろうから子供と一緒。

生前整理にいっぱいあった着物類は、誰も欲しがらない。

現在、宮城県に住む実弟次男の嫁さん、Kさんも欲しがらない、とおふくろに伝えた。

貴金属の中で、残してほしいのは大丸でもらった黒い指輪

銀の指輪があった、といってもそれには反応しない


孫のTちゃんが子供のころの写真を本人に渡したい、という。

郵貯銀行の銀行印はたぶんにこれだという花柄ケース入りの印鑑。

着たきり雀の赤いセーターを洗ってもっていったら喜んでくれた。

東京に暮らしている長男から電話があった。

来月の4月15日若しくは16日に奈良入り。

カナダから戻っている次男とともに、おばあちゃんが入居しているハッピーガーデンに行きたいと伝えてくれた。

ただし、その日は、仕事の関係もあり、とんぼ返り。日帰りするから3時間の滞在。

万が一の場合も考えての日帰りには、理由はあるが、ここに書く必要性はない、と判断した。



写真は、おふくろも喜ぶ美味しいかまぼこ。

宮城県産のかまぼこ。製造・販売とも白謙かまぼこが提供する、めちゃ旨かまぼこ。

一枚、口にしたら、もう止まらない絶品味。

なんと、今回は新作、販売の白謙かまぼこの唐辛子入り真イカ。

楽天市場など、通販取り扱いで入手している。

22日の今日は、おふくろが長年暮らしていた生活用具すべてを撤去する生前整理。

午前10時から午後5時ころまでかかる撤去作業に立ち会い

23日は、小規模住宅型有料老人ホーム・ハッピーガーデン西ノ京の入居に必要な正式契約を交わす日。

契約日付けは、入居した19日に遡る。

その契約に、ケアプランセンターあゆみに所属するケアマネージャーのK介護福祉士に、おふくろも同席の下、契約書を交わす。



24日に届いたLINEメールは、ケアプランセンターあゆみ・Kケアマネージャーから。

Kさんが、大和郡山市役所の介護福祉課に問い合わせ、確認をとった。

3月19日付けの転出の際、大阪・住之江区役所介護福祉課は、別の移転課に申告し、あらためて奈良・大和郡山市に転入するので介護保険者証認定は、今日現在が要介護3のままの状況に転出し、転入する大和郡山市に継続する旨を伝える。

大和郡山市も、住民票を移したらすぐに介護福祉課に行き、異動したので介護保険は要介護3のまま令和4年9月31日まで継続します、と申告してください、と伝えてくれた。

住民票と介護保険の関係は別扱い。

課の横つながりが、自動的ではなく、申告によって成り立っているんだと思った。

なお、介護も要認定変更は、大阪市から届くが、その件は無視され、ハッピーガーデン西ノ京のリーダーさんの判断。

おふくろの心身が落ち着いた段階で区変する、了解を得ている、と伝えてくれた。

区変が重なっただけに、余計に難しくなったが、そこはベテランのみなさん。

ご指示に従う。



また、この日に届いた大ばあちゃんの仏壇の台。

注文していた楽天市場。

なんと、仏壇の台は仏壇製造業者だ、と思っていたが違った。



販売、配送とも家電とPCの大型専門店のジョーシンWEB。

物流が終結する大阪・南港から配送された。

台は、幅60×奥行40×高さ43.5cmのお仏壇チェスト。

桐製、和室収納、完成品で送ってきた仏壇下台。

チェスト型番は、MCH-6792 HAGIHARA(萩原)。

梱包解いて、早速設置した大ばあちゃんの仏壇の台。

えーもん、届いたからね、と拝んだ

(R4. 3. 1、 4、 5、 7、10、15、20、23、31 SB805SH 撮影)

生誕地大阪・大和川住宅に咲く桜を見納めに手続きする鍵の返却、転入届けて幕を閉じる

2024年11月21日 07時43分10秒 | むびょうそくさい(おかん編)
私が生まれ、育った大阪・住之江。

エレベーターなしの5階建て市営住宅の今に咲く7、8分咲きの桜が見ごろになった。

1階建て平屋・背中合わせの二世帯が住まいする木造住宅から、コンクリート構造の中層住宅団地化に転換した昭和49年(1974)。

建築を終えて鍵の交付とともに入居。
住民たちは、昭和52年から順次、転居。

ピカピカの住居に移っていた。

かーさんと新居暮らしは、東住吉区の矢田に数年間。

住之江の大和川住宅が、木造1階建てから、5階建てのコンクリート団地に移るまでは、おふくろの親戚筋が経営していた文化住宅の2階に仮住まい。

居住地も籍も住之江。

木造1階建てに同居の形をとり、建替え委員と役を務めた。

そして、建築を終え、移転入居した昭和52年。

本来の新居としておふくろと大ばあさんとは、別棟の2階に移住した。

その後の、昭和56年8月、私と、かーさんは、大阪・住之江から転出。

新築購入とともに移住、転入した奈良・大和郡山市。

その後も、おふくろは、私の祖母である大ばあさんと一緒に、エレベータのない4階の部屋で暮らした。

そこは見晴らしがいい階層。

それから49年後のこの日。

介護状態の変容により転出。

転入地は我が家。

分離別所帯の位置づけに手続きした大和郡山市。

ホーム施設の地は、北隣の奈良市内。身柄だけをホームに移した。

前週に、家具、用具など、ほとんどを撤去した

生前整理に見つかった、ほんの一部(切手類暮らしの道具)は重要な史料として遺した。

空っぽになった室内を見渡してもなにもない。

ガラーンとした元居住地。

窓を閉め、鉄製の玄関も締めた鍵は、大阪市市営住宅管理センターに返却する。

この年も綺麗に咲いてくれた団地の桜も見納めに、記憶に遺しておきたい一枚を撮っていた。

遡ること。

戦後まもないころに建築した木造住宅は大阪市営住宅。

戦中に罹災した人たちが住まいした市営住宅。

罹災者は、大阪市内に落とされた大空襲に焼け出された人たち。

そのころの、具体的な話は聞かなかったが、結婚する前の父親も母親(※私からみれば祖母)ら親戚筋も罹災。

それが、私の本籍地だった。

今ではまったく面影がない旧大阪市東区瓦町。

たまに通ることがあったとしても、あの辺りかな、という具合。

そして罹災者向けの木造住宅に、私が生まれた。実弟次男も三男も同じ地の生まれ育った旧大阪市住吉区北島から、完全に離れる。

96歳のおふくろは、奈良市にある住宅型有料老人ホーム(※ハッピーガーデーデン西ノ京)に入居が決まり、もう大阪には戻ることはない、と決断し、身柄はホームに委ねる。

49年間暮らした鉄筋コンクリート構造住宅の大阪市営住宅は完全撤去も終えて、今日は最後の手続きがある。



何をどうするのか、かーさんが予め整理してくれたメモに沿って、立ち合い、連絡などもあるし、大阪では区役所での転居手続き、転居先の奈良・大和郡山市役所ヘは転入届けも。

その途中に出かける大阪・阿倍野の住宅管理センターに鍵を返却する。

盛りだくさんの、本日プログラムをこなす。

一日仕事に、お昼は決めていた。

住之江に来る用事の度に食事を摂っていた大阪ふくちぁんラーメン加賀屋店を考えていたが、時間が合わない。

仕方なく切り替えたラーメン処は、生駒山の麓にある幹線道路沿いに立地しているまこと屋大東南新田店入店。

私はチーズ入りトマト酸辣湯麺。

かーさんは、チャーシュー鶏じゃん


その件は、ともかくかーさんがメモした関係先は、一つは大阪市の水道局。

 退去は3月30日。

 閉栓は不要。

 立ち合いは午前9時30分の予定

その2に、大阪ガス。

実は、2年前の9月8日に、一時中止を連絡し、現在も停まっている状態。

 供給停止しているので、立ち合いはない

 ガス漏れトラブルの場合に鳴動するガスのピコピコは・・レンタルにつき、そのままに・・

その3の電気は、関西電力。

 3月29日に電力供給停止

 部屋の鍵を返却する際に、すべてのブレーカー落とす

その4に電話。

 3月30日に外すアダプター(コード共に)を着払い郵パックで送る

なお、3月22日に完全なる撤去に原状回復をした際、ベランダにある屋外のシャワー給湯器のガス管が、経年劣化のために栓が回転できず。

水回りの栓も回らず閉栓不可(引っ越し事業社も対応できなかった難題)については、大阪・阿倍野の住宅管理センターに連絡しておいた。

午前8時30分に住之江・大和川団地に到着。



部屋中に入り、然るべき箇所の点検をする。



忘れ物がないことも確認し、ブレーカーを落とす。



玄関ドアを締め、呼び出しブザーがあった場所も確認。

ポスティングなど、勝手に入れられんように「転居」を記して鍵かける。



1階の郵便ポストにも、「転居」を記したガムテープを貼る。

扉は開かないように、その付近にもガムテープ貼った午前8時46分。

次の、目的施設は大イベントも収容できるすみのえ舞昆区民ホールもある住之江区役所。



信号待ちの度に思い出す懐かしい母校の大阪市立南陵中学校。

消滅してから、もう何年にもなるなぁ。中学3年生のときの学級数は17組。

おっとろしいほどの学友たちがいたが、史料によれば平成5年(1993)に閉校とあった。



なぜに「すみのえ舞昆区民ホール」なのか。

「舞昆」と、いえばテレビコマーシャルに今も出演されている“大村崑”さん。

”大村崑”さんと、いえば、92歳になられても、今もなお、タレント・俳優仕事に活躍している大物人物。

知る人ぞ知る“大村崑”さんは、昭和30年代のモノクロテレビ時代から活躍していた喜劇役者さん



「元気ハツラツ オロナミンC」の宣伝は、どなたも記憶にある。

毎日放送だったか・・「やりくりアパート」に、一世風靡した「番頭さんと丁稚どん」もあれば「鞍馬天狗」などがある。

その“大村崑”さんが出演している大阪・住之江が本社の㈱舞崑のこうはら。

新聞紙上の宣伝も多く見る。

そのようなことで、住之江に本社がある㈱舞崑がパートナーシップ契約した関係により名称を「すみのえ舞昆区民ホール」と、した。

午前8時55分、到着した住之江区役所での手続きはおふくろの転出届け。



花壇いっぱいに咲く春の季節の喜び。

穏やかな気温になった区役所。

つい最近になってからだが、駐車場を有料化された

大阪市内の各区役所も同様なのかな。

転出届けに住民異動届けの記入が要る。



これからの住所は、我が家。

別所帯であるが、配達される郵便物が誤送さないよう我が家にした。

老人ホームに入所した場合、ある施設は、その施設の住所に住民異動しなければならない施設もあれば、おふくろが入所した施設は、その限りではなかった。

これらについては、大阪でお世話になったケアマネージャーや新しくケアマネージャーになってくださったKさんも区役所の介護福祉課に連絡、確認。

介護保険者証認定に係ることだけにこうした対応はケアマネージャーにお願いするしかない。

並びに転入先の市役所の担当に伝え、そのことに問題はないのか、相談にのってもらい、そうすることにした。

また、後期高齢者医療保険についても異動しなければならない。



その申請は別途封筒に入れているので、転入先の市役所に届けることになる。

住之江区役所の手続きを終え、次の目的地は大阪・阿倍野。

午前10時40分に到着した阿倍野の住宅管理センター。

なんと、すんなり来れたワケでもない。

と、いうのも、管理センターがあるビルそのものがわからない。わからないから、駐車場もどこになるのか、さっぱりわからぬ。

まるで迷路に入ったかのように思えたラビリンス(※迷宮・迷路)な都会。

大都会の大阪市内の施設に行くのは、とても難しい。

周辺道路を何度も走って繰り返すラビリンス。

可能性として考えられるビルは、アレかも。

地下に入る駐車場。

ゲート付近に見つけた名称が目に入った。

正解である。

ビジネスオフィスビルのビルはあべのメディックスビル

北側か南側か、さて、どっち。



やっと見つかった大阪市住宅供給公社・阿倍野住宅管理センター。



エレベーターにのって上階の5階へ。

待ち時間に数組の家族さんが相談に来ているようだ。



担当の方に、居住地だった部屋の鍵を返却した。

やっと返した49年間も使用していた鍵である。

時間は、午前11時ジャスト。

お昼を摂った午後の手続きは、わが町、奈良の大和郡山市。

もう少し、ガンバロー。

東大阪から北東。

大東市の南新田にあるまこと屋でラーメンを食べ終えた時間は午後1時を過ぎていた。

ここからは、奈良に向けてであるが、生駒山をこえなければ、到着しない。

急ぐ理由もないから地道。

峠越えの阪奈道路を利用して奈良・大和郡山市の市役所に到着した時間は、午後1時50分。

山越えに時間がかかる行程に迎えた花園。



そう、ここ大和郡山市役所もまた、春の季節を彩るパンジー・ビオラの群生といいたいところだが、市のシルバー人材センターの人たちが植えたパンジー・ビオラ。



ここ大和郡山市の市役所は、新庁舎への建替え工事中。

今年の5月2日にオープン予定に向けて、あともう少し


手前が旧庁舎で、右が新庁舎になる。

私どもが、おふくろの転入届けをするのが、旧庁舎の最後になりそうだ。

なお、新庁舎に業務を移してから、旧庁舎は解体され、その後の令和5年の7月18日に、新庁舎併設の交流館(みりお~の)がオープンする予定だ。



転入届けを受理してくれた大和郡山市は、転入者向けの市民だよりの一環として『大和郡山市 暮らしのみちしるべ』が贈られる。

“みちしるべ”は、今日のような手続き・届け出の他、健康に関する手引きや福祉、子育て、保険と年金、税金、教育と文化、暮らし、市制の窓口、人権と相談、暮らしの情報などが満載。

なお、『大和郡山市 暮らしのみちしるべ』は、官民協同事業による㈱サイネックスとの共同発行に電子書籍版もある。



さらに、受け取った『大和郡山市 総合防災マップ』や放送受信契約の案内に、なんと大和郡山市上下水道部からは「非常用 飲料水」を溜める一時的保存道具まで提供された。



使い方は、蛇口から水を入れて、チューブを畳めば、水を漏れないように背負って運ぶことができる「非常用 飲料水(※長期間保存不可)」。

さすがだね。

大和郡山の水道水の半分が地下水。

水に自信あのある大和郡山市。

我が家も転入した際に、伝えられた美味しい水


手続きのすべてを終えて、やっと帰宅できる。

市役所からの帰り道のほとんどが、郡山城跡を見ながら・・・

途中に見える北側の参道に柳澤神社の鳥居がある。

そこをくぐれば城内史跡が間近に見える。

後方の南側は、県立郡山高等学校

城内に高校があるんだけど、福島県にも県立郡山湖東学校があるから、お間違えのないように・・

城内を通り抜ける東西通り。

距離はすぐそこ。

正面三叉路が西の公園。



現在、公園化整備に工事中。

学びの時間後は、スポーツクラブの高校生は、絶えず走っている周回ランニング。

現在状況の桜を撮っていたが、いずれすべての工事を終えたら、今の景観と、どういう具合に替わっているだろうか。

近々、この付近にサイクル駐輪場もできるようだ、と聞いている


(R4. 3.23、30 SB805SH 撮影)

生前整理④おふくろが暮らしていた住居は完全撤去に現状回復を・・

2024年11月14日 07時54分23秒 | むびょうそくさい(おかん編)
今日は、おふくろが暮らしていた住居の完全撤去。

作業は、午前10時からはじまる。

それまでに確認しておきたい大阪市営住宅を管理している阿倍野住宅管理センターから届いていた退去の流れ。

まずは、決まった退去日、時間を設定し、管理センターの立ち合いに来てもらうよう報せる。

その件に関しては、自治会にも連絡しておく。

次に、家賃の清算は、退去が月の途中であれば日割り家賃になるから納入通知書が送付される

次に、電気・ガス・水道の契約解除と閉栓

 関西電力、大阪ガス、水道局、それぞれの営業所に連絡し、契約解除し、閉栓をお願いする

そして、撤去と原状回復

 入居中に自身が設置した物品(例;風呂釜等、湯沸かし器、エアコン設備、網戸、サッシ、照明器具、

 カーテンレール、敷物などなど)・・・すべてを撤去

 また、室内を模様替え、改造、手すりなどを設置した場合も、入居した当時に原状回復を

 ただし、入居当初から設置されている物品は、この限りでない

退去前の立ち合い確認点検、
 管理センターの担当者が入居者の立ち合いのもと、チェックし、 「退去前確認書」にレ点、或いは、記入するなり、
 相互確認をする



そして、鍵の返却、

 退去日は玄関、窓などすべて施錠すること

 集合ポスト内を整理し、鍵があれば外す

なお、退去後に住宅管理センターに持参・返却すべきものは3本の鍵

 その他の鍵があれば、台所の流し台の引き出しに収納



 また、大阪市長宛ての「住宅返還」届並びに「誓約書」も持参・返却



撤去作業にかかる前にしておきたい仏壇や写真は、「これから引っ越しさせていただき、奈良の我が家に引っ越しさせていただきます」と、心から念じて、傷つけないよう毛布に包んで、愛車に載せる。



また、生前整理の際に見つかった「少し前の時代の紙幣や切手」とか「家族の記録写真に母親や祖母が使っていた当時の暮らしの用具」も引き取り、我が家で所蔵することにした。

到着した依頼事業者は、天理二階堂にある片付けエース。

遺品整理士が率いる二人の男性に女性はお一人。



見積もりしていた撤去後の養生は管理センター点検者から不要の確認をいただいた。

炊事場・台所から取り出す小物。

包丁は危険物なので、別扱い。

とにかく小物はなんでもナイロン袋に入れて仕舞う。

金属物は、金属物ばかりを集めた袋に詰めていく。

タンスなどがある部屋でも作業開始。

衣服類に小物。

それぞれの袋に詰め込み。



タンスの上に置いていた時計は40周年記念。

おふくろが勤めていた損保の保険会社。

現役は80歳を超えていたが、否が応でも引退せざる得ない体力。

なんせ、両手に抱えたバッグに詰まった保険に関する資料ばかり。

重たい荷物を両手でもって歩きはもちろん。

バスや電車を利用し、市内はもちろん、市外も顧客めぐり。足は丈夫だったが・・

ナイロン袋に詰めた衣服類。



これらは三畳の間に取り敢えず置き。



いやもう、すごいことになってきた。

運ぶ車の用意ができれば、直ちに階下に運び、足場を確保する。

金属に陶器や食器にガラス製品。



さて、金目のものは見つかるでしょうか。

向こうに見える掃除機は、最後の最後まで綺麗にしていく道具。

役目はまだまだ。

終えるのは、最後の最後。

ここまでの作業が、正午いっぱい。

私どもも、近くにあるくら寿司で食事を摂って戻ってきた。

一服休憩されていたみなさん方は、午後1時過ぎから再開した。

それからの作業は詰め込みが主。



足場を確保し、階段を下してきた整理タンスに立派な机なども。



取り敢えずは、通路におかしてもらう。



一般的にみれば、大型ゴミの搬出作業である。

準備を調えたカーゴ・トラックに詰め込む作業。

詰め方に基本的な考えたがあるんでしょう。



ここから見て、奥の方に詰めたモノモノはが倒れないように、冷蔵庫や洗濯機などで壁にする。

なるほどやねぇ。

その境目にはブロック置き。

段差をなくす重たい用具かな?。知らんけど・・



地上に下した家具を並べた。

その様相を、おふくろが居住していた北の窓から覗き込み。



この窓で思い出す、また来てね、と手をふるおふくろの姿。

角を曲がって見えなくなるまで手を振ってたなぁ。

さぁ、再び荷物下し。



下駄箱を下そうとしたシーン。

平成30年の夏場に壊れたエアコン。

大急ぎに動いた買い替え。

緊急要請を受けた実弟三男とともに出かけた交換機種選び。

それはそれですぐには設置できない夏場の据え付け工事人の手配


当時、おふくろの年齢は92歳。

翌日には台風21号がくる予想に一時的避難に我が家に来てもらった。

その対応は正解だった。

大阪湾に属する地域に大きな損失をもたらした台風21号

その後に、なんども発症した圧迫骨折に再び、奈良の病院に入院加療。

退院しても我が家で安静加療の繰り返し。



大阪には戻れずじまいの状況に、無人の部屋に新しく据えたエアコンの出番は、通算でいえば、ほんのちょっとしか稼働していない。

ほぼ、新品同様のエアコンも撤去物品になった。

その奥に見える金属光。



長年暮らしてきた生活に欠かせないステンレス製の入浴風呂も撤去対象。

撤去、撤去しているうちに炊事場が綺麗な姿になっている。



何年も前に、かーさんと二人で敷き詰めたフロアーマットのおかげ。

貼り換えに相当な時間をかけた労力が報われる。

一部分汚れているフロアーも、角度換えてみれば光の加減で輝き。

それもあるが、壁が・・すっかり変化していた。

どことなくわかった台所の壁。

たぶん耐火性の壁であろう。

この1枚は、浴槽をとっぱらった状態。



シャワー器具もきれいが、これも撤去処分。

金属もんは高く売れるだろうな。

玄関入口に集めた廃棄処分行きのいろいろ。



おふくろが来ていたさまざまな衣服のすべてが処分行き。

奥の方に見える場は炊事場。



ほら、フロアーが光っているでしょ。

その向こうはベランダ。

設置していた風呂釜も撤去行き。

すっからかんになった部屋の空間。

こうしてみると、どこともそうだが広いよね。



それにして、この時代になって、真っ青なイグサを見るとは思わなんだ。

タンス置き場が、虫も喰わずに綺麗なイグサ跡が美しい。

昭和52年(1977)に入居してから46年間。

いよいよ、さ・よ・な・らすることになった大和川住宅

地上に下した暮らしのタンスなどが、そろそろ2台のトラックに分散積載。



またまた、窓から見ていた、その作業。

おっと、自転車は現に住んでいる人たちのんだよ。

積み込み作業の時間は、ケッコーかかる。



そのタイムは午後1時40分からはじまり、終わった時間は午後3時5分。

大変な作業だった、と思う。



1階、地上に下りて拝見したカーゴ・トラックの詰め込み具合。

プロの技に、パワーが光る詰め込みの美しさ。

奥に詰めた収納物をガッチリ確保。

運搬に支障をきたさないように詰め込んだ。



軽トラに積んだ物品は衣服類。

崩れないように荷台周りにセッテイングしたボードでガードしている。

時間帯は、午後3時40分。



さまざまな物品は消え、きれい、さっぱりした空間。

外気からの空気が気持ちよく流れていく。



最終的な点検に、桟などに貼っていた紙は綺麗に剥がし、打ち付けていた釘は、引っこ抜く。

押しピン一つも逃さないように、ひとつ、ひとつを丁寧に検証していく。



屋外のベランダなんて、ゴミひとつも見つからない。



給湯器とか風呂釜へ供給していたガス管も水道蛇口も閉栓確認。



浴室も最終点検。



台所の電灯や蛇口はそのままにしておく。



おっと、最後になった換気扇の撤去が残っていた。



べたりと付着したギトギト油も拭いて、なんとか外せた換気扇は、最後の積み込み。



すっきり、気持ちいい片付けをしてくれた皆さんに、厚く御礼申し上げ、ここで解散。



これから、廃棄処分に向かわれる。

鍵を閉め、棟と棟の間の車が通る道にはっと、気づいた。



大阪市の梯子消防車をデザインした消火栓マンホール。

このマンホールの真上に停めてはいけませんよ。

思い出に浸って撮っておいた消防用ホースがあるマンホールも記念の一枚。

午後4時25分に、ここ住之江を離れた。

今回の撤去費用は、養生もない、ゴミ清掃だけで済んだから、23万円支払い。

当初クレジットカード決済払いとしていたが、振込手数料が8千円も要する、とわかった。

南都銀行口座に、現金振り込みなら手数料は200円で済むといわれ、そうしようとしたが、大金なので口座から口座振込にしたら手数料なしになると銀行職員が教えてくれたのでそうした。

こうして、原状復帰などの点検も終えたが、鍵の返却は後日にしている。

我が家にもどって、第一に行った大ばぁさんの仏壇は、私がパソコン部屋といっている畳敷きの日本間。



大ばぁさん、今夜からこちらの部屋でくらしてね、と心の中で拝した仏壇。

今は、この状態だけど、只今、楽天市場に発注した桐製の仏壇下台座チェストが、もうすぐ届くまで我慢してや、と伝えた。

(R4. 3.22 SB805SH 撮影)

緊急入院から19日目に退院の日に慌ただしく入所した施設暮らしがはじまる

2024年10月19日 07時54分33秒 | むびょうそくさい(おかん編)
おふくろが緊急入院してから19日目に退院した。

本来は、もっと早くに退院ができた。

そろそろ退院ですよ、と伝えられた翌日の14日。

なんと、入院している棟の2階で、他の入院患者さんがコロナに感染したのだ。

目途がつくまで、しばらくは退院できない日々。

意外と早くなったのは、コロナ感染に調べた結果が陰性と判断されたからだろう。

退院と同時に、受け入れ許可をいただいていた施設の入所。

退院と同時に施設に移すのは、私の考えでなく、これから入所する施設のリーダーの考え。

退院したら、お家に帰りたくなる。

その心に負け、許してしまうと、腰を上げるのが難しくなる。

いっそのこと、入所してしまえば、その施設に馴染んでしまう。

施設の先輩たちと会話するだけで馴染んでいく。

そんな事例を数多く見て、体験してきたことによって、その考えは良かったと、今も思っている、と・・

その考えに、私も同意し、かーさんも、そう判断し、今日の段取りをすすめた。

さて、本日の19日である。

朝からたぶんに夕刻までかかる退院手続きもあれば、入所先に予め運んでおかなきゃならない施設暮らしのものもの。

衣服はもとより、介護用品なども入所施設に運び、おふくろが少しでも快適さが得られたらいい。

また、長期間に亘って、預かってくださったデイサービス施設の人たちにもお礼をしなくては・・・

午前9時、我が家にあるだけの介護用具に介護用品を運ぶ。

玄関にまとめて、取りこぼしのないように確認する。



愛車に詰め込むだけでも時間はかかる。

積み込んだまま移動した入院先。



窓から見える建物は2年間もお世話になった介護施設。

ほぼ2年間のデイサービスにお世話になった幸寿苑も卒業。

と、いうよりも対象とする地域外れのホーム入居に規定外の送迎は不可と伝えられて継続契約は、そこで停止した。

長年のお礼にちょっとした気持ちを添えて・・・手土産持参にお礼を伝えたく伺った。



退院に支払う入院費用。

この行為があってこそ、退院証明書が発行される。

また、入所する施設には、ここ病院からは医療情報を伝達する看護スタッフへもあれば、施設が契約している主治医への伝達もある。

医療にかかった場合は、介護施設に必要な医療情報を伝えなければならない、いわば患者さんの医療情報。



封をあけてはいけない情報が中に収めているから、家族であっても封はあけられない。

おふくろが、3回も入院した圧迫骨折のときも、みな対応してきた私的な部分である。



退院手続きを終えて、おふくろを愛車の軽バンに乗ってもらう。

久しぶりに足元に添えた足踏み台。

よっこらっせ、と乗せて入所先に向かう。

我が家から10分も要らない近距離にある、そこは地域外。

相談、応対、入居希望の登録をしてから4か月目にして、突然の連絡が・・至急、入居。

あれこれいろんな施設の見学、登録をしてきたが、一番はじめに登録したハッピーガーデーデン西ノ京。

見学させてもらったおふくろも気に入ってくれた老人ホームに入居が決まった。

退院迎えに声をかけたら、家に戻れるんやな・・・、というが、そのルートもなく、ホームに直行。

受け入れてくださったスタッフが玄関口で待っていた住宅型介護老人ホーム施設。

到着した時間は正午過ぎ。

入居者のみなさんは、既に食事中だった。

おふくろの分の1食も用意していたが、食べたくない、という。

食事ルームにほぼ全員のみなさんが、そろっている状態に、担当者は一人一人に紹介してくださる。

緊張する間もなく、入居者の人たちと会話をするおふくろ。

お腹が減る余裕もなかったのだろう。



午後1時、その間に、部屋の支度。



1階であっても見晴らしサイコーの部屋。

特に見える若草山。

毎年の1月末に行われる新春行事。

大勢の観光客が押し寄せる若草山の山焼き行事は、いつも人気だが、おふくろは見てくれるだろうか。

あれこれもってきたモノや、入院中に使用していたモノまでの品々を調えるかーさん。

あれこれお聞きしたいとことたくさんあるが、ある程度までの調えが終って・・・

気がついたら、午後2時も過ぎていた。

顔合わせした、これからお付き合いしていただくケアマネジャーさんも紹介され、詳しい契約ごとは、落ち着いたころに・・。

(R4. 3.19 SB805SH 撮影)

本日は、ほぼ完全なる生前整理③

2024年10月13日 07時49分57秒 | むびょうそくさい(おかん編)
本日の生前整理は、本格的。

ほぼなにもかもの用具を整理し、現状回復しなくてはならない大阪市営住宅。

その整理は、事業者の作業範囲などによって、午前の部と午後の部に分かれる。

生前整理に不用回収をお願いした事業者は、大阪茨木の㈱ティーアップ・リセット(※消費税込み224,400円)。

洋タンスに和タンス。

整理タンスに食器棚や置き場ボード、テレビ台、棚、エアコン、冷蔵庫、洗濯機、座卓に多くの雑貨。

作業、搬出に2、3人。

運ぶトラックは2台。



もう一社は、天理市二階堂の方付けエース㈱ACE-GROUP(※消費税込み230,000円)は、室内3DKにベランダ退去にともなう全撤去作業にあたる。

作業は、分別・荷造り・搬出・積込・回収・箒掃きに簡易清掃。

プラス2万円で室内原状復帰も・・・

また風呂など、大阪ガス器具については、接続外しに撤去搬出まで見積もりに含んでいる。

作業人4人に、例えば朝10時より、作業を開始し、午後4時には撤収できるそうだ。

大阪市営住宅・住宅管理センター(※最寄りは阿倍野住宅管理センター)の撤去後の検証は、同日であれば微細な確認も同時にできるので煩わしいこともないし、クレジットカード決済・支払いは可能。

ただ、住之江領域を担当する大阪ガスサービスセンターの寺田商店の問い合わせでは、接続部を外すだけで3万円もかかるらしい。

分別、荷造り、搬出、積込、回収、箒掃きに簡易清掃の立ち合いにこの日は、午前10時50分から11時50分まで駐車したイクスパーキング大和川住宅駐車場。

撤収前に撮っておきたいおふくろが長年にわたって、住まいしてきた室内設備・環境を記録しておく。

もう見ることはないかもしれないし、何年か経過したときに、ふと思い出したりして・・・

その際に、見たくなる室内状態は思い出が詰まっている。

記憶は、写真映像に記録しておこう。

1階入り口ポストの半数以上が、転居若しくは退去。

おふくろもこの3月末には市営住宅の管理センターに鍵渡しする予定だ。



この部屋はどこだ。

和装着などなど・・・



携帯カメラを引いていけばわかった和タンス。

くたびれることなく、ピッカピカ。



今日は、すべてを撤去する6畳の間。

同一部屋に置いているおおばあちゃんの仏壇。



鍵を返すその日まで留守番続行中・・

右の部屋は3畳の間。



簡易型組み立て衝立におふくろが気に入っていた洋服がいっぱい。

左端は、当時、新たに買ってきた、いわゆる物入棚。

おっと、これは。

宝石ではなく、飾り物がいっぱいあった。

金目のモノはほとんどない。



前回の生前整理で、大事なものと判断された指輪は銀の指輪では、と思われた飾りモンも残っていたようだ。

整理してくれた事業所さんは、これは、と判断したものは処分せず、依頼者に戻される。

次の部屋は、左の玄関口からあがった間。

風呂場もあるし、トイレもある。

隅っこに据えた洗濯機がある。

戻って、炊飯器に米櫃。



オーブントースターなんぞもあるから、右端は炊事場。

玄関上り口に据えていた水屋。



左にちょい見える4畳半の部屋は、いわゆるリビング。

座る椅子もないのは、寝室兼用の部屋。

先ほどの6畳の間とこの4畳半の部屋の間に布団を収める押し入れ。

早い話が、どちらの部屋からでも使える押し入れ。

今のリビング兼寝室に布団は敷いていない。



おふくろが住んでいたときは、夜に巻いている布団を出して、起きたらもとに戻す。

介護に入った時代は、ここに組み立て式ベッドを据えたが、今は我が家に来て、私が使っている。

テレビ台はあるが、テレビはここにない。

介護施設に入所と、決まって早くも我が家の移した。

右上に飾っている写真は、私が撮った超有名になった奈良・宇陀本郷に咲く又兵衛桜

その名を付けたのは、存じているプロ写真家。

たしか週間フライデーやったか、連載しているとき、編集者がこのすごくいい桜樹に名前は・・、と、問われたときにポロリと口に出たとか・・・知らんけど。

正式名称は「本郷の瀧桜」。

3室あった居住地。

エアコンは一台。

実は、ほとんど新品状態




12年間も稼働していた旧いエアコンが、突然のごとく、壊れた。

大慌てで購入に至った電気店は、大阪・住之江にあるジョーシン電気。

実弟三男とともに、買いにでかけたが、設置はいつ。まだまだ、クソ暑い夏場が収まらない。

平成30年の9月。

おまけに台風21号の到来に無事に設置はできるのだろうか。

おふくろは、エアコンのない部屋では暮らせないので、我が家の一時待避している最中にやってきた大型台風にあちらこちらで被害が発生した


と、いうことで5年間しか使っていないし、そのほとんどが圧迫骨折によって、我が家近くの成形病院で安静治療。

退院後も我が家で数カ月の自宅療養。

住之江に暮らしていた日数は少ない。

季節も外れている時期は、エアコン無用。

だから、新品状態なのだ。



そのリビング兼寝室部屋から見た炊事場。



そして炊事場のそのまま状態。

そして炊事場から見たリビング兼寝室部屋。

あの丸テーブルで食べていたお茶の間。



来る途中に買ってきた総菜弁当を広げて、一緒に食べていた。

近くの住之江・加賀屋で販売していた「ひいらぎ」。

お好み焼きや一銭洋食のような博多焼きを売っていた「おばちゃん」の店。

なんと、テレビ出演も果たしたおばちゃん。

番組は、東京局のテレビ東京だ。

番組は、超有名な長寿番組の「アド街ック天国」。

出演した姿を見て、思わず拍手したよな。

風呂場、ベランダを除いて、ほぼ収録した。

ほぼほぼ終えた生前整理。

時間帯は、正午時間に近づいていた。

腹はぺこぺこ状態に、車で出かけた食事処は、先日の8日に初入店、初喰いした旨味に再び食べたくなる大阪・焼肉丼・旨辛うどんすみのえ食堂

今日のお昼の注文は、8日と同じメニューのミニ焼肉カルビ丼。

かーさんは、単品うどんに鶏の唐揚げ。

いずれも美味しくいただいた


さぁ、食事を終えても、まだまだ片付けなくてはならない細かいところに目配り。

午後2時には、取り急ぎそこまで。



まだ留守番をしてもらうおおばあちゃんの仏壇に手を合わせて、金属製のドアを施錠。



住宅の住民たちが世話をして、咲かせた花を見届けて出発。



小浜の信号を経て東に向かう。

その前に遭遇した、南北を往来するチンチン電車に、さ・よ・な・ら・・・



まだおふくろが入院中の奈良へ急いで戻った。

(R4. 3.12 SB805SH 撮影)

突然に決まった老人ホームの入居伝達に美味しシャトレーゼ焼きブッセを口にする

2024年10月11日 07時49分51秒 | むびょうそくさい(おかん編)
11日の午後にかかってきた電話。

えっ、まさか・・・

入居希望登録していたハッピーガーデン西ノ京のリーダーTさんからの連絡だ。

部屋に空きができたから、入居できる、と伝えてくれた吉報。

現在も入院中の田北病院のH介護相談員に直接電話をかけて、おふくろの状態を確認。

車椅子移動ができるから入居は許諾される。

ハッピーガーデン西ノ京・事務担当のK介護福祉士と契約を交わす日程は、3月13日午前10時より。

契約者、保証人2人の印鑑。

おふくろの容態から、1階の入居に決まる。

大阪におられるケアプランデイア1・ケアマネジャーのFさんに、その旨伝えたら退院、直ちに入居となるので、その時点で契約は自動消滅し、ハッピーガーデン西ノ京とは直接関係のないあゆみ介護支援事務所のKさんが担当する。

ケアマネージャー間の情報連携をもって移管される。

なお認定審査会は、今日現在まだ実施されていないが、たぶんに終えて有効期限までに新介護認定書が届くので、その確認をもって転出、転入届けをすれば自動的に福祉課に移る。

大和郡山市に転入届けをしたその足で福祉課に介護認定証の件を確認しておけばいい。

この日の午後は、私がとらえた大和の民俗写真展の当番日。

来訪に多くの見学者が・・

うち、知人が二組。

丁寧な対応に、行事の取材が急遽決まった。

また、重要な撮影も入った。

そこに、おふくろの行先が決った。

施設入所は、入院している病院治療の具合もあろう。

その後、一旦は退院許可が下りたが、リハビリ運動をもう少し、の状態もある。

ただ、次の方向先が決まったことが、いちばん嬉しい。

ただ、おふくろは、一旦退院したら、我が家にしばらくは療養するつもりになるかもしれない。

さまざまな事柄が、急激な動きに、本日の写真展に来られた川西町結崎にある大念仏・融通念仏衆 萬福山超圓寺の執事が手土産にもって来られた洋菓子。

当番を終えて、我が家で落ち着きを取り戻したら、甘いものが食べたくなる。



早速、開封させていただいた手土産は、シャトレーゼの焼き洋菓子は「さくら香るふんわりブッセ」

さくさくっと食べた一枚。

ほんわか美味しい洋菓子ブッセの味。

明日、面会にもっていっておふくろにおすそ分け。

悦ぶだろうな。

(R4. 3.11 SB805SH 撮影)

2回目の生前整理②

2024年10月05日 07時50分55秒 | むびょうそくさい(おかん編)
今日は、2回目の生前整理。

先に、食事を摂っていたご近所の食事処・旨辛うどんすみのえ食堂の旨辛ホルモンラーメン

食事を済ませて、市営住宅の4階に向かう。

早速はじめた生前整理に、何がでるかな、なにが見つかるかな・・どきどきする生前整理。

実弟三男夫妻とともに作業する生前整理。

滞在時間は、午後12時50分から午後3時40分。

なんと出てきた写真は、おやじとおふくろが結婚式をあげたときの写真。

おふくろに聞けば、大阪市立住之江会館で撮ったと、いう記念の写真。

昭和52年の設立だから、その会館で撮ったものではないだろう。

そもそも、行政地名は、住之江区ではなく、元々は住吉区だった。

昭和49年7月22日、住吉区の西の地を分離した住之江区


だから、そもそもは写真館で撮ったものであろう。

おふくろの孫たちの写真がいっぱいある。

実弟次男に三男の孫たちだ。

さまざまな写真を整備する。

それにしても、いろいろ出てくる室内発掘。

小銭がいっぱい、重くなった4個の貯金箱が出土。



また、昭和61年まで使用していた伊藤博文の旧千円札が5枚もある。

な、な、な、なんと・・・8mmフィルムを発見した。



日つけは昭和44年10月。

タイトルに「祭り」と、鉛筆書き。

もう一箱にもフィルムが収まっている。

たぶんに、2本続けて撮影したフジフィルム。

昭和44年10月といえば、私が高校2年生だったころ。

「祭り」となれば、貴重な映像が出てきそう。

おそらく、おふくろが出里の大阪の富田林・錦織の母屋。

錦織(※にしこり)と彼方(※おちかた)に、今も続くだんじりではないだろうか。

秋の10月は、錦織の錦織神社例祭に登場するだんじりについて回って撮っていたのであろう。

フィルムはDVD化すれば、わかることだろう。

もし、画像が祭り・だんじりであれば、暮らしの民俗撮影・記録している現在活動中の私の原点になりえるだろう。

50歳から、行事の記録に目覚めた民俗の伝承。

モノクロ写真で見た記憶があるにわか姿。

母屋のおじきは白化粧。

踊りもしていた即興的漫才のような?、俄(※にわか)芝居の姿が写真に写っていた。

おじきの妹がおふくろ。

兄の姿は毎年見ていた、と話していたことを思い出した記憶の断片。

ネットに見つかった最近の祭り。

日つけは令和5年10月13日、とある。

その映像によれば、白塗り顔の俄は、だんじりに立つ姿。

それは神社、つまり神さんに奉納する姿。

たぶん、近い地域の様相であろう。

ネットでは、46年ぶりに復活した
、とあるから、およそ1978年(昭和53年)であるが・・・

私が高校2年生のときに映した映像は、どんなんかなぁ。

復活する前の年代。

遡ること、それよりさらにくだった昭和44年。

撮っていたら貴重な記録もんになろうか。

フィルムの思い出に浸っていては、生前整理がまったくもって進まない。

次の整理は、おふくろが来ていた着物。

着物が好きだ、と云っていた実弟次男の妻。

Kさんが、着れそうな着物が多数ある。

おふくろの介護用具も整理の対象。

浴槽につかるときに使う介護用手すりに、たくさん、たくさんになった介護資料。

見直すことはないかもしれないが、これらも我が家に移しておく。

さて、本日の整理に大おばあさんの仏壇である。

処分の対象ではなく、我が家に移設であるが、さてどうしたものか。

わからんときは、おふくろが買ったご近所の仏壇屋さんに、伺うことにした。



かつてバス停が、ここにあった。

移動してからは、人の動きが替わったが、みたらしや団子を売っている和菓子屋さんに仏壇屋さんの並びは、替っていない。

故郷、住之江に生まれ、育った私にとっては、都会のふるさと。



山口佛心堂の奥さんは、気持ち次第だ、という。

本格的に性根抜きするなら僧侶にお願いして1万円。

移動地の性根入れも費用がかかる。

単に貴方の家に移すだけなら運ばしてもらいます、と手を合せばいいし、移動地に着いたら運ばせてもらいました、これから我が家でお守り申します、と心で念じるだけでいい。

山口佛心堂の奥さんは続いて、私は仏壇屋です。

大阪市営住宅の4階であれば、そこから1階に下ろすとき、いつもそうしている、と話してくれた。

ちなみに位牌も含め、守ることなく処分したい場合は、大阪市に申し込めば千円で措置してくださるって・・・

(R4. 3. 8 SB805SH 撮影)

OSZAR »