日曜日は韓国大邱市の交流がコンサートの練習が六甲アイランドセンターのラサーラ ディ オルフェオフルートアンサンブルエスカルでありました。


1830年


メンデルスゾーンがゲーテのために演奏する、1830年、モーリッツ・オッペンハイム作、1864年

1830年発行ヘプリティーズ諸島の表紙 王立大学図書館ロンドン

LINEで14:00〜と書いてあったので行ってみると、魚崎辺りで「久米さん来る?」と連絡が「今日は13:00からですよ。」
「えっ!」とボートライナーの中で飛び上がった私。

早めに出たつもりが、大遅刻。
グループLINEをよく見返してみると「13:00からに訂正します。」との1文が…。
ひゃ~!
他にも2人ほど2時だと思っていました。
着いてみると「アルルの女」組曲をやりますが、1は終わって2は途中でした。
が〜ん!本当に落ち込みます。
「メール送ったよね!」と榎田先生。
「すみません。見逃してました。」と頭下げて入りました。
クヨクヨしている暇はありません。
すぐ練習に加わりました。
前はバスを吹いていたので、3rdは初めて。
その上楽譜が見えにくい。
送ってもらったPDFがいくらプリントアウトしなおしても薄いです。
全部音名を振ってみましたが、慣れてないからうまく読めません。
後で原譜を再コピーさせてもらいました。
韓国演奏に行くメンバー外部の人も加わって、うまい人が多くて、吹きやすくとても刺激になりました。
韓国の練習の後は、いつものメンバーでエスカルの練習。
大阪と神戸、メンバーどちらに参加してもいいシステムです。
神戸でするのは久しぶりです。
いつもの「フィンガルの洞窟」ドボルザークの「セレナーデ」を練習しました。
「フィンガル」を必死で間違えないように吹いていたら、「冷たすぎるんだよ!」と榎田先生の檄!
「大フィル時代にここはクラリネット2本で演奏するんですが、それが本当に美しかった。
ただ吹くんじゃなくてもっとこうなんていうかもっと情感を込めて!」
うーん!大フィルの名手と比べられても…と思いましたが、やるしかありません。
こちらも必死。
絶対になんとかします。
フェリックス メンデルスゾーン バルトルディ(1809−1847年)自由都市ハンブルク生まれ、プロイセン王国ベルリン没

1830年
『フィンガルの洞窟』作品26は、1830年に作曲した演奏会用序曲です。
原題は『ヘブリディーズ諸島』(Die Hebriden)ですが、日本語では通称の『フィンガルの洞窟』の方が多く用いられています。

二度目の旅に出発しました。
彼の両親が彼に資金を提供しました。
旅の目標:はフェリックスが世界市民になること。数か月または数年かかるこのような旅は、非常に費用がかかります。
両親は彼を誇りに思っていることを示しています。

メンデルスゾーンがゲーテのために演奏する、1830年、モーリッツ・オッペンハイム作、1864年
メンデルスゾーンは5か月間ベルリンの自宅に滞在しました。
その後彼の最初の教育旅行はイングランドとスコットランドでした。
そこで彼は音楽家、出版者、イギリスの貴族とのつながりを確立しました。
この時、メンデルスゾーンは21歳、すでに芸術の頂点に達していました。
最高の指揮者の一人、最も想像力豊かなピアニストの一人、そして当時の最も興味深い作曲家の一人として、大衆は彼を愛し、崇拝していました。

1830年発行ヘプリティーズ諸島の表紙 王立大学図書館ロンドン
「フィンガルの洞窟」についての詳細はブログに取り上げたので
https://blog.goo.ne.jp/m-fluteangel16/e/0c7b5531f0905d9cecf4d5b5a9e57b7f
https://blog.goo.ne.jp/m-fluteangel16/e/0c7b5531f0905d9cecf4d5b5a9e57b7f
今回は在りし日の朝比奈隆先生指揮、大阪フィルハーモニー交響楽団のメンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」
おそらくフルートは榎田雅祥先生