8月に子育てサロンの主催でする地域の講習会。






の宮廷リュート奏者や、イングランド王ジェームズ1世(1566-1625年)

およびチャールズ1世(1600-1649年)
の宮廷リュート奏者を務めました。

ベリオール・カレッジ


にその計画を密告しています。
革細工ができないかなあ?と試作してみました。
材料はすべて100均。
革はフェイクレザーです。
というのも大人もいるけれど、小学生低学年もいます。
ハサミで切れて、針を使わない。
木槌、カシメはぎり使えるかも、と思ったけれど、以前は100均にたくさんあったブライヤーが1つも売ってません。
流行ってないのかな?
穴を開けポンチは2個セットで100円。これは使えるかも。
木工ボンドを薄めて全体に塗り

ポンチで穴を開けて

ひっくり返して穴に紐を通したら出来上がり!

キーホルダーにしたければ上の穴に金具をつけます。

フェイクレザーでなければ、水をつけて成形して紐なしの動物ができるはずなのですが…。
子どもや男の子向きかな?これは。
大人向けには、縫わずにできるコインケースか、ペンケースがいいかな。
大人は縫うのは危険ではないけれど、縫い目を穴開ける工具がみんなに買えない。40人分…。
でもハトメは最低確保しないといけませんね。
こちらはテーブルで共有で大丈夫かも。
簡単だからデコレーションしてもらおうかな?
ジョン・ダウランド John Dowland (1563-1626年) イングランド生没

エリザベス朝後期およびそれに続く時代に活動した作曲家・リュート奏者。
デンマーク王クリスチャン4世(1577-1648年)

の宮廷リュート奏者や、イングランド王ジェームズ1世(1566-1625年)

およびチャールズ1世(1600-1649年)

の宮廷リュート奏者を務めました。
エリザベス朝前後に流行したメランコリア(憂鬱)の芸術の巨匠とされ、特に代表作であるリュート歌曲『流れよ、わが涙』(1600年)とその器楽曲版『涙のパヴァーヌ』は当時の欧州で群を抜いて最も高名な楽曲として、東欧を除く全ヨーロッパで広く演奏されました。
20世紀の音楽学研究者・リュート奏者ダイアナ・ポールトンらによる古楽復興運動以来再び注目を浴び、クラシック・ギターへの編曲も多く作られた他、2006年にはイギリスを代表するロック歌手スティングによってカバーアルバムが作られました。
ダウランドは
1588年にオックスフォード大学で音楽学士となりました。

ベリオール・カレッジ
イングランド女王エリザベス1世のもとで宮廷リュート奏者を望むも得られず、国外に職を求めた。宮廷楽士になれなかった理由として、青年期にフランスに滞在していた一時期カトリック教徒だったことがあったため、そのことが尾を引いて聖公会(イングランド国教会)

聖公会の総本山のカンタベリー大聖堂
のイングランドでは排斥されたのだと、ダウランド自身は信じていました。
のイングランドでは排斥されたのだと、ダウランド自身は信じていました。
しかし実際には宗教問題は関係がなく、宮廷が予算縮小の方向にあったことや、女王に献呈曲を書くのを怠ったことなどが問題だったのではないかとも言われています。
その後、ヴェネツィア、フィレンツェ、ニュルンベルクなどヨーロッパ各地を遍歴しました。
フィレンツェでは同地在住のイングランド人からエリザベス暗殺計画への加担を持ちかけられ、1595年にイングランド政界の重鎮ロバート・セシル

にその計画を密告しています。
1598年から1606年にはデンマークでクリスチャン4世付きのリュート奏者を務めました。
1606年にイングランドへ戻り、1612年に国王ジェームズ1世付きのリュート奏者となりました。
息子のロバート・ダウランドも作曲家・リュート奏者として活躍し、父の死後は宮廷リュート奏者の地位を継承しました。
歌詞は無くて、リュート音楽として普及しています。革製品と言えば、靴ということでダウランド載せてみました。
A.Toyの意味は、何?
辞書によると
玩具、おもちゃ、遊び、本物をまねた安物の〕装飾品、ちっぽけな[つまらない]もの、〔犬などの〕小型種〈話〉〔暇つぶしの〕遊び、楽しみ、〈話〉〔もてあそばれる〕人
…あまりいい意味ではないみたい。もてあそんだのか?もてあそばれたのか?
shooter marble
靴屋の女房 P. 58
The Shoemaker's Wife, a Toy, P. 58