土曜日はあびこランズホールでバロックの会でした。




バッハ、テレマン、ヴィヴァルディ、マレ、スカルラッティ、クープランなどバロックの巨匠から、ロッティ、ロワイエ、カルダーラなど初めて聴く曲も。
楽器はヴァイオリン、フルート、フルートトラヴェルソ、ヴィオラ、チェロ、ヴィオラ・ダ・ガンバにチェンバロ。そうそうテノールもいました。
ソロから合奏まで、すべてバロック!
おもしろい企画でした。
私は、フルートの角谷雅一さんとチェンバロKさんとマラン・マレの組曲Gmollを演奏しました。
写真はヴィオラ4本で演奏するバッハのブランデンブルク第6番BWV1051
なんでもコロナの頃にオンラインで流行った合奏でチェロ、バスのパートも満遍なく回ってくるそうです。
めっちゃくちゃ楽しそうでした。
ジョゼフ=ニコラ=パンクラス・ロワイエ(Joseph-Nicolas-Pancrace Royer, 1705 - 1755年)
サヴォイア公国トリノ生まれ、フランス王国パリ没

ロワイエがジャン=マルク・ナティエ作「ザイード」 (1750年頃)を作曲している様子
サヴォイア公国(現在のイタリア・ピエモンテ州)のトリノに生まれ、と言っても
イタリア人というわけではなく、父親がその頃サヴォイア宮殿の庭園と噴水の管理人として派遣されていただけです。
1725年に一家はその後すぐにパリに戻ってきましたが、彼が公式にフランスに帰化したのは1751年になってのことでした。
1734年にルイ15世

の子供たちの音楽教師(maître de musique des enfants de France)に任命されます。
1746年が『クラヴサン曲集 第1巻』出版されます。

1748年から、ヴァイオリニストのジャン=ジョゼフ・ド・モンドンヴィルと共に、コンセール・スピリチュエルを指導。
さ1730年代と1750年代を通じて、パリ・オペラにて6作のオペラを作曲。
その中では、ヒロイック(英雄的)バレエ音楽《グレナダの女王ザイード Héroïque Zaïde, reine de Grenade》が最も有名です。

『ザイード』は、ラ・マール神父(またはラ・マール)(1708ー1742 年)の台本によるもので、作曲者自身の指揮で、1739年9月3日にルイ15世の娘の結婚式で初演され、44回上演されました。
その後、 1745年の王太子の結婚式、そして1770年のマリー・アントワネットの結婚式で再演されました。
物語はアルハンブラ宮殿に住むザイード女王が、二人のライバルであるムーア人の王子のどちらかを愛するかという決断を迫られ、善良な王子を選ぶというものです。
1753年、王室音楽監督を拝命。同年、王立歌劇場管弦楽団の監督に任命されました。
パリで死去。
彼の死後の1756年に「2冊分に足るクラヴサン曲」の存在が報告されていますが、現存しません。
『クラヴサン曲集 第1巻』より第14曲《スキタイ人の行進 La Marche des Scythes》。
ロワイエのクラヴサン曲の中でもとりわけ人気が高いのが、曲集の終わりを飾る第14曲《スキタイ人の行進 La Marche des Scythes》です。
これも実は自ら作ったバレエ音楽《ザイード》からの編曲で、3幕5場の《トルコ人のためのエール Air pour les Turcs》が元になっています。