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マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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都介野岳龍王神社毛掛篭

2009年07月27日 07時55分35秒 | 奈良市(旧都祁村)へ
田植えを済ませた日曜日に行われる奈良市都祁南之庄の毛掛篭は標高631.2kmの都介野岳へ登ることから始まる。

早朝に北の登山口に集まった総代、国津神社の社守さんや役員は車に同乗して数百メートル登っていく。

1/3ぐらい登ったところに車を停めてそこからは人力で登っていく。

登り口は西にもあるが、負担を楽にしていけるようにと今はこうしている。

登山道は杖をつくほど急坂だ。

頂上にたどり着くとそこに龍王神社が祀られている。

後方に祀られている四つの社は日輪教のもので龍王神社とは関係がなく、覆い屋が出来るまでは龍王社は石の上に鎮座していたという。

お参りを済ませると拝殿に座ってジャコを肴にお神酒をいただく。

毛掛籠もりの「毛」とは「毛」をかけるといって田植えのこと。

無事に田植えを終えることができたと参る奉告祭の意味がある毛掛籠もり。

田植え前は畑を耕す荒起こし。

かつてはその荒起こしを済ませたら荒起こし籠もりをしていた。

拝殿での直会はまさしく籠もりであって水の神さんの龍王さんと供に饗応するのだ。

この龍王さんは雨乞いの願掛けで登っていた。

村から提灯を手に持って登ってきた。

雨が降らんかった6月、7月。

お寺で般若心経を唱えてそれでも降雨がなければ登った雨乞い祈願の岳のぼりだった。

そのころ12歳だった50歳の男性は今でも覚えているという。

雨が三日降ったら国津神社で雨乞い満願の「コズモ」と呼ぶ子供相撲をしていた。

年長者が勝ったら御幣をもらう。

当時使っていた軍配が残っているそうだ。

(H21. 5.24 Kiss Digtal N撮影)


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