過剰な女
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わたしはボダを克服したんですよ!
投稿日時: 2007-04-09 11:29
縁は異なもの妙にして有難きものですね

それにしても
デンマンさんのおっしゃるように、
長いおつきあいになりましたよねっ!(ニコニコ)
ネットで知り合って、紆余曲折はあったものの、
現在もこうして、きわめて親密なやりとりを
続けることができている、ということに、
あらためて「縁」というものを感じています。
そして、今のわたしはデンマンさんを
信頼しています。
信じていると同時に、頼りに思っている面も
あるんですよ(困りますか??)
わたしがデンマンさんに対してキレること…
今は、自分から一方的に決別するようなことは
考えられないんですよ
互いを人間として尊重しつづければ、
何ら恐れるものはないと、思っています。
それに…
しつこいようですが
わたしはボダを克服したんですよ!
とっても苦しい道のりでしたが、
通院するとともに、自分でも勉強して、
回復のための、あらゆるメソッドの中で、
「気付き」というものを、得ることができました。
かたくなで脆い自我を、育てなおすこと…
それは、死ぬまで続けなければならないことですが、
逆戻りなどしたくはありません。
ボダのマイナス面によって、
自分以外の方に、迷惑をかけることが
如何に幼稚で見苦しいものかということを、
血がでるほど、痛感しています。
by レンゲ
『ムカつくコメント』より
(2007年12月15日)

だからねぇ、僕は思うのですよ。レンゲさんは清水君との関係で希望を失う事はないとね。。。

あたしはどうすれば良いのですか?
厭世観に陥(おちい)らない事ですよ。レンゲさんは治療するのが難しいと言われているボダを克服したのですよ。希望を失わずに努力すれば清水君の関係も改善するのですよ。
。。。で、具体的にどうすれば良いのですか?
僕はレンゲさんの手をとり足を取り具体的に教える事はできないけれど、おととい言ったように、清水君と家庭を築くことに自信を持つことが何よりも大切ですよ。
そうすれば、あたしの心の奥の虚しさが無くなるのですか?
そうですよ。
そうでしょうか?
僕の言うことが信用できないのですか?
もっと具体的におっしゃってくださいな。
レンゲさんの手をとり足を取り具体的に教える訳にはゆかないのですよ。
【レンゲの独り言】

あたしは何も、デンマンさんが手をとり足を取って教えて欲しい
と言っている訳ではないのです。
ただ、なんとなく理屈で丸め込まれているような気がするのですわ。
理屈っぽい人って、時にはイヤですよねぇ。
手をとり足を取って教えるのでなくとも、
もっと具体的に説明する方法が有ると思うのですわよ。
『岸壁の女 (2008年1月28日)』より

レンゲさんはやっぱり僕に具体的に説明して欲しいのですか?

そうですわ。デンマンさんのように理屈っぽく説明されても、どのようにしたら良いのか思い当たりませんわ。
でもねぇ~、具体的になると誤解を招く事も多くなるし、第一、レンゲさんと清水君の愛情問題ですよ。具体的に説明するとなれば、レンゲさんの夜の生活にまで足を踏み入れてゆく事になるのですよ。
これまでだって、デンマンさんはずいぶんと足を踏み入れてきましたわ。
でも。。。でも。。。あまり深入りしてゆくとアダルトになってしまいますよウ。道徳にうるさいオバタリアンやオジタリアンが出てきて煩わしくなるんですよ。しかも、オツムの足りないDEMPA55までが出てきて、僕に次のようなアクタレをタレるのですよ。

変態!!!
http://blog.livedoor.jp/yokop0914/archives/51270796.html
匿名 2008/01/19 22:34
『禁断のベッド (2008年1月8日)』のコメント欄より
僕はできるだけ格調高くしたいのに、DEMPA55のような愚劣な男が2ちゃんねるから出てきて、上のような公衆便所の落書きを書くのですよ。具体的に書くと、このような弊害が出てくるのです。
でも、それは仕方がないと思いますわ。どこにでもオツムの足りない愚か者は居ますわ。
じゃあ、レンゲさんは“変態!”なんて言われてもいいのですか?
言われたくありませんわ。でも、理屈だけを書き並べられて振り回されるよりは、具体的にはっきりと言ってもらった方があたしの悩みは早く解決すると思うのですわ。
分かりましたよ。じゃあ、具体的に話しますよ。では、もう一度狸オヤジの言ったことを読んでみてくださいよ。

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。
いそぐべからず、
不自由を常と思えば不足なし、
こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、
いかりは敵とおもえ、
勝つ事ばかり知りて、
まくること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな、
及ばざるは過ぎたるよりまされり。
人の一生と言うものは重い荷を背負って遠い道を行くようなものですよ。
急いではいけないのだ。
いつも不自由していると考えれば、不満が生じるはずがないんだよ。
何かがとても欲しいと思った時には、自分の過去にあった苦しい時代を思い出すことだね。
“堪忍”こそが無事に長く安泰でいられる基礎なんだよ。
“怒り”は敵と思いなさい。
また、人生では勝つ事ばかりを知って、負けを知らない事は危険ですよ。
自分の行動を反省することです。人の責任ばかりを追及する事は良くありません。
何かをやるとき、なかなか達成できない事の方が、やり過ぎてしまう事よりましなんですよ。
『性と愛は限りなく (2006年5月28日)』より
また、徳川家康ですかァ?400年も前の人ですねん。
でもねぇ~、例え昔の人でも、言っていることは現在でも通用するのですよ。
そんな事はありしませんわ。ジューンさんだって、徳川家康は古すぎる。時代錯誤だと書いていましたわ。
不自由な時代の“知恵”

レンゲさんの言うことは尤もですわよね。
確かに狸おじさんの言ったことは400年前の事ですわ。
現代社会とは全く違った不自由な時代の“知恵”ですわ。
あなただって、そう思うでしょう?
でも、科学と人生哲学は同列に並べる事が
できないようにも思えます。
アインシュタインの相対性理論は
ベッドの中で愛し合う愛人同士には
当てはまらないように思うのですわよ。
うふふふふ。。。

ベッドの中で愛し合っている時に
あなたは思いませんか?
この人の求めているモノと
わたしの求めているモノが違うのではないかしら。。。?
ふと。。。そんな気になったことってありませんか?
男の求めているモノと
女の求めているモノ。。。
この事についてアインシュタインの相対性理論は
無関心ですわ。
レンゲさんはベッドで愛し合う事を
大切なコミュニケーションと言ってますよね。
わたしは、そのコミュニケーションの意味が
分かっているつもりです。
でも、男性で、そのように考えている人が居るでしょうか?
つまり、詩や短歌が分からない人には
詩的に愛し合う事って
できないのではないかしら?
『憂いて迷う (2008年1月24日)』より
ほらァ。。。ジューンさんだって、このように言ってますやんかあああァ。
でもねぇ、新しいからってアインシュタインの相対性理論を持ち出すわけには行かないのですよ。ジューンさんも言っているでしょう?アインシュタインは、男の求めているモノと女の求めているモノに、あまり興味がなかったのですよ。
徳川家康は興味があったとおっしゃるのですか?