goo blog サービス終了のお知らせ 

デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

ホーチミン市

2025-05-12 07:00:50 | 軽井沢タリアセン夫人


 

ホーチミン市

 


(hochimin12.jpg)


(hochimin13.jpg)


(hochimin14.jpg)


(sayurikumo.jpg)

 





ベトナムいいね


[email protected]
Apr 15, 2025, 2:17 AM (1 day ago)


友達がベトナムのハノイに行って来たと、楽しい話を聞かせてもらいました。

 



 

私もベトナムには興味があります。
特に、おコメで作った麺類の丼ものが美味しそうです。
それにカニの春巻きも食べたいです。

GWの後、一緒にベトナムに行きませんか?
今後いつ行けるかも知れません。

来年のことを言うと鬼が笑うとも申します。
デンマンさんも来年には、どうなるかも解りません。
そういうわけでGWの後に一緒にベトナムに行きませんか?

お返事待ってます。



 





ホーチミン市に行こう


[email protected]
Apr 15, 2025, 8:16 AM (1 day ago)
to sayuri


はい、はい、はい。。。
ベトナムいいですね。

ハノイよりもホーチミン市に行きましょう。
ハノイもいいけれど、旧サイゴン市は、これまでにニュースでしばしば見た都市です。
ベトナム戦争当時は、毎日のようにニュースに出てきました。

それにフランスの旧植民地で、ホーチミン市には、古い建築物にフランスの名残(なごり)が感じられます。
幸代さんも、フランス風の建物にロマンを感じることでしょう。

パリでカレーを食べたいと、すっとんきょうな事を言っていた小百合さんですから、ホーチミン市でカニ・カレーを食べるのも楽しいかも知れません。

 




『カレーdeパリ』


 

カニの春巻きもうまそうです。
美食を堪能してからサイゴン川の畔をそぞろ歩くのもたのしいよね。

 


(hochimin13.jpg)



 

そして愛とロマンの夜をルンルン気分で楽しもうね。
きゃははははは。。。

では、チケットや、ホテルを調べたら、またメールします。
今夜はベトナム旅行の夢でも見てください。
じゃあね。








(sayuri55.gif)

デンマンさんは、ハノイよりもホーチミン市の方がいいのですか?



なんとなくホーチミン市の方が身近に感じられるのですよ。。。

どういうわけで。。。?

やっぱり、サイゴンと呼ばれていた時代に、しばしばニュースでその名前を耳にしたからですよ。。。

ベトナム戦争時代のニュースを聞いていたからですか?

そういうことです。。。

 



ホーチミン市

 


(hochimin12.jpg)

 

ホーチミン市(胡志明市:ベトナム語:Thành phố Hồ Chí Minh)は、ベトナム社会主義共和国の南部に位置し、同国で最も人口が多い都市であり、東南アジア有数の世界都市でもある。
市街中心部の旧称はサイゴンである。

ベトナム国民の父として親しまれる人物である「ホー・チ・ミン」と音韻弁別するため、通常はホーチミン市又はホーチミン・シティ(英語: Ho Chi Minh City)と呼ぶ。
旧名はサイゴンであり、現地では今なお「サイゴン」という表現が、様々な場面で使われており、都市名としては「ホーチミン市」よりも通じる。
また、ベトナム人の間では「HCMC」「TP.HCM」と省略されることが多い。

古くからベトナムの経済的中心地として栄え、「東洋のパリ」と呼ばれたフランス統治時代の影響が残る街並みと、経済成長で建てられた高層ビル群と、雑多なバイク渋滞・スラム街が同居する

登録人口ベースで800万人を抱えるホーチミン市は、ベトナム南部圏の中心として、同国GDPのおよそ半分を占める。

 

歴史

ホーチミン市は、プレイノコール(英: Prey Nokor、クメール語で「森の中の街」という意味)として知られる小さな漁村として出発した。

今では市街地が広がっている一帯は、もともとは沼地であり、ベトナム人が16世紀後半か17世紀以降に入ってくる何世紀も前からクメール人が住んでいた。

17世紀以降には華僑も現れた。明朝の滅亡(1662年)により、その遺臣である楊彦迪(ズオン・ガン・ディック、Dương Ngạn Địch)、陳上川(チャン・トゥオン・スィエン、Trần Thượng Xuyên)らの率いる約3000人・50隻が阮氏広南国に亡命し、ビエンホア(サイゴンの東方)やミトー(メコンデルタ入口)への入植を許可された。

1623年、カンボジア王チェイ・チェッタ2世(在位:1618年-1628年)は、鄭阮戦争で阮氏広南国から流出した難民をプレイノコール一帯の定住者とし受け入れるための税務事務所を建築し、居住を許可した。

ベトナム人定住者がみるみるうちに増えてゆくのを、シャムとの戦争により弱体化したカンボジア王国は妨げることができず、この一帯はゆっくりとベトナム化していった。
やがて、プレイノコールはサイゴンとして知られるようになった。

1698年、ベトナム人貴族であるグエン・フー・カイン(阮有鏡)が、この一帯にベトナム人による統治機構を構築し、この一帯に干渉するほどの勢力を失ったカンボジアからこれを引き離すため、フエの阮氏の頭領によって送り込まれた。

彼は大規模な定住によりサイゴンの拡大をもたらした人物としてしばしば賞賛されている。
ザーディン城(Thành Gia Định)と呼ばれた巨大なヴォーバン式星形要塞が築城されたが、1861年のチーホアの戦いにおいてフランス人が破壊した。
ホーチミン市は、この年をもって市の起源としている。
ザーディンの名称はザーディン省として残った。

1859年にフランスによって占領され、1862年のサイゴン条約で阮朝はフランスによるコーチシナ東部の支配を認めた。
その際にサイゴンは開港し、1887年に成立したフランス領インドシナのもとで急速に発展した。

ベトナムがフランスにより植民地として占領されている間、この街はフランスの影響を受けた。
そのことが、この街に数多くの古典的西洋風の建築に表れている。

そのため、サイゴンは「極東の真珠」 (Hòn ngọc Viễn Đông) とか、「東洋のパリ」 (Paris Phương Đông) と呼ばれることも多い
なお、1873年に日本の岩倉使節団がサイゴンを市内見学しており、当時の安南国の様子が「米欧回覧実記」に記されている。

第二次世界大戦後の1945年9月23日、フランス軍はイギリス軍の支援を受けながらサイゴンを占領。

しかし1954年、フランス軍は共産主義者のベトミンにディエンビエンフーの戦いで敗れ、インドシナ半島から撤退した。

その後、サイゴンはバオ・ダイ帝が組織した政府の支配下に戻った。
バオ・ダイは、1950年にサイゴンを首都と定めた。
その際、サイゴンと華人系ベトナム人の居住区域であったチョロン (Chợ Lớn) は、一つの行政単位として統合され、首都サイゴン(ベトナム語で Đô Thành Sài Gòn )と呼ばれることになった。

1954年のジュネーヴ協定により、ベトナムが公式に北ベトナム(ベトナム民主共和国)と南ベトナム(ベトナム共和国)に分断されると、アメリカ合衆国の影響下でゴ・ディン・ジエム大統領に率いられた南ベトナム政府は、引き続きサイゴンにその首都を置いた。

その後南ベトナム軍と北ベトナム軍の戦闘が国境地域から拡大した事を受けて、南ベトナム政府を支援するアメリカのジョン・F・ケネディ大統領は、1960年にアメリカ軍軍事顧問団の大量派兵を行う。

その後の1965年のアメリカ正規軍の本格参戦によって、ベトナム戦争が本格化すると、サイゴンをはじめとする南ベトナムには大量のアメリカの軍事物資と資金が流れ込むが、その後南ベトナム解放民族戦線による一般人をも標的にしたテロリズムが活発になる。

1973年のパリ協定締結後、アメリカ軍の全面撤退以降は徐々にベトナム共和国は劣勢に陥り、1975年4月30日にサイゴン市内に北ベトナム軍が進出し、南ベトナム政府が崩壊しベトナム戦争が終結。
この出来事は一般に、アメリカ合衆国では「サイゴン陥落」と呼ばれ、ベトナムでは「サイゴン解放」と呼ばれている。

その後、サイゴンを始めとする南ベトナムはベトナム人民軍の支配下に置かれ、社会主義化されると経済活動は停滞し、これを嫌う華僑を中心に、難民が流出した。

1976年、共産主義の統一国家ベトナム社会主義共和国が成立したことにより、サイゴンの街(チョロンを含む)、ザーディン省及び近隣2州の郊外2地区が統合され、後の共産党指導者ホー・チ・ミンの名を冠したホーチミン市が作られた。このとき「ザーディン」の名称も消滅した。

今日でも、この街の都心部には広くて優雅な並木道が走り、歴史的なフランス植民地風の建物が並んでいて、町並みに彩りを添えている。

この街の中心部で最も目立つ建築物といえば統一会堂 (Dinh Thống Nhất)、市人民委員会 (市役所:Ủy ban nhân dân thành phố)、市営劇場 (Nha hát thành phố)、中央郵便局 (Bưu điện thành phố)、革命博物館 (Bảo tàng Cách mạng)、国立銀行支店 (Ngân hàng Nhà nước)、市人民法廷 (Tòa án Nhân dân Thành phố) 及びノートル・ダム大聖堂 (Nhà thờ Đức Bà) である。

ホーチミン市は、ベトナムで確固たる地位を占める華人の本拠地である。
チョロンは、現在では6区、10区及び11区の一部と5区として知られる一帯であり、中華街となっている。

1975年以前に南部ベトナムには120万人の華人が在住していたが、そのうち110万人はサイゴンに在住し、さらにそのうち70万人はチョロン在住であった。

中越戦争前夜には華人が大量に難民として出国したため、チョロンの華人人口は1978年には10万人にまで減少した。
在ベトナムの華人人口は1975年145万人から1987年28万人にまで減少している。

その後、ドイモイ政策が進むと帰国する者も増え、チョロンの華人人口は50万人以上に回復した。

人口は700万人を超え(住民登録者及び市外からの通勤者の合計)、ホーチミン市では公共インフラの必要性が急激に増大している。

この必要性を満たすため、市当局と中央政府は新都心を開発する努力を始めている。
最も目立った事業を2つ挙げるとすれば、2区のトゥーティエム(Thủ Thiêm / 守僉)中心市街地と7区のフーミーフン(Phú Mỹ Hưng / 富美興)新都心(サイゴン南部計画の一部)であり、日本人学校、サイゴン南部国際校(アメリカ人学校)、オーストラリアの王立メルボルン技術研究所、台湾人学校及び韓国人学校といった様々な国際学校が立地している。

 

気候

ホーチミン市は熱帯気候(サバナ気候)で、平均湿度は75%ある。
1年は2つの季節に分かれる。雨期は毎年平均して約1800mmの降水量があり(雨天は1年に約100日)、通常では5月に始まり11月下旬に終わる。

乾期は12月から4月まで続く。
平均気温は摂氏28度で、最高気温は4月下旬の正午に摂氏39度に達することもあり、最低気温は12月下旬の早朝に摂氏16度を下回ることがある。

 

タンソンニャット国際空港

タンソンニャット国際空港は、軍民共用空港であり、ホーチミン市(サイゴン)の中心街(1区)の北7kmにある。

空港と市街地との間の移動にはタクシーやバスを利用することができる。

航空機利用客数が急速に増大していることや、タンソンニャット国際空港が市の中心部に近接していることから、ベトナム政府は既に、50km北東のドンナイ省ロンタイン村近郊に、新しく『ロンタイン国際空港』を建設する準備をしている。

2021年1月に着工し、2025年に開港予定である。

 

バス

バスが唯一の公共交通機関であることから、市内にバス路線網が張り巡らされている。なお多くのバスにエアコンが装備されている。

 

タクシー

1万台のタクシーのほとんどにメーターが取り付けられ、運行中は正常に作動しているのが普通であるが、英語を上手に話せる運転手は多くはない。
中には運賃を不正に徴収するためにメーターを使おうとしない運転手やつり銭をごまかす運転手などもいる。

ホーチミン市内では、バイクの後部座席に客を乗せる『セオム』と呼ばれるバイクタクシーが多数活躍している。
観光客がセオムや三輪の自転車タクシー(シクロ)を利用するときは、運転手が乗客の安全に注意を払わない場合もあるので、用心すべきである。
白いVinasun(ビナサン)と緑のMailinh(マイリン)の大手タクシーグループは、比較的安全とされる。

Uber型の配車アプリも提供されており、Grabが利用可能である。
2020年2月現在の料金目安は、7kmの移動で10万ドンである。

 

料理

南ベトナム料理のほかにもベトナム全土の料理を提供するレストランの他、フランス料理や日本の寿司、テキサス風バーベキューからケンタッキーフライドチキンのようなファストフードまで、地元以外の料理を味わうこともできる。

また近年は、市内中心部の大規模ショッピングモール内にフードコートが多数営業している。

 

インターネット環境|

ホーチミン市には120万件以上の固定電話と約300万台の携帯電話(後者は年間20%の伸びを示している)がある。

インターネットは、特に ADSL 接続が急速に普及しており、80万人以上の加入者がいて、300万人以上がしばしば利用している。

インターネットプロパイダの中でもVNPT、Viettel、FPTの3社が人気があり、ベトナムのインターネット加入者の98%を占めている。

外国からの観光客がスマートフォンからインターネットに接続するには、現地のWi-Fiに接続をするか、SIMカードを購入してスマートフォンに挿入する。

なお、ベトナムのSIMカードは日本国内でも主にインターネット通販により購入可能である。

料金目安は、60GBのデータ容量が20日間利用可能なSIMカードで約300円となる。

 

Wi-Fi環境

近年ではスマートフォン普及に伴い、ホテル、レストラン、カフェなどで無料のWi-Fiが利用できる。

スターバックスなど一部チェーン店では長時間居座る客への対策として、1つのパスワードに対して1時間のみネット接続が有効で、それ以降は遮断する仕組みを導入している。




出典: 「ホーチミン市」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



ずいぶん詳しく調べましたねぇ〜。。。



僕はウィキペディアから興味深い箇所を抜き取って書いただけですよ。。。ところで小百合さんは「ミス・サイゴン」という言葉を聞いたことがありますか?

ミス・ユニバースで優勝した女性ですか?

いや。。。ミュージカルのタイトルです。。。

 


(miss-saigon2.jpg)



 



ミス・サイゴン

 

『ミス・サイゴン』(Miss Saigon) は、クロード=ミシェル・シェーンベルクとアラン・ブーブリルの脚本、ブーブリルとリチャード・モリトビーJrの作詞によるミュージカル。
ジャコモ・プッチーニのオペラ『蝶々夫人』を基にし、アメリカ兵とアジア人女性の引き裂かれた運命のロマンスを描いている

『蝶々夫人』のアメリカ海軍士官と没落藩士令嬢から置き換え、1970年代、ベトナム戦争末期のサイゴンの売春バーで働くベトナム人少女キムと、アメリカ大使館で軍属運転手を務めるクリスの悲恋が描かれている。

1989年9月20日にロンドンのウエストエンドで初演され、1999年10月30日、4000回以上の上演を経て閉幕した。
1991年、ブロードウェイでも開幕し、その後ツアー公演が行われ多くの都市で上演されている。
2014年ロンドン再演開幕前、初日の興行収入が£4mを越え世界記録となった。

1985年の『レ・ミゼラブル』に続き、シェーンベルクとブーブリルの2作目の大ヒット作品となった。
2015年9月現在、ブロードウェイではロングラン公演歴代13位に位置づいている。

 

背景

脚本家のクロード=ミシェル・シェーンベルクが、ふと見た雑誌に掲載されていた、ベトナム人の母が子供により良い生活をさせようとタンソンニャット空軍基地から元GI(アメリカ軍兵士)の父親の待つアメリカへ送り出そうとしている写真から着想を得て創作されたとされる。

シェーンベルクはこの母親の行動を「尊い犠牲」と考え、『ミス・サイゴン』の中心テーマとすることに決めた。

ジャコモ・プッチーニ作のイタリア・オペラ『蝶々夫人』と、その着想の元となったフランスのピエール・ロティの小説『お菊さん(Madame Chrysanthème)』をストーリーのベースにしている

作品のハイライトはサイゴン最後のアメリカ人が大使館の屋根からヘリコプターで去るシーンで、残されたベトナム人たちは絶望で叫ぶ。

 

批評

1989年度、ロンドン公演において数々の賞および称賛を受けたが、ローレンス・オリヴィエ賞ミュージカル作品賞を逃がした。

1991年のブロードウェイ開幕から批評的にも商業的にも最高のミュージカル作品との呼び声が高かった。
チケット売り上げ2,400万ドル、チケット料金100ドル、39週内でのリピートと様々なブロードウェイ記録を塗り替えた。

同年のトニー賞において、『ミス・サイゴン』と『The Will Rogers Follies 』がそれぞれ11部門にノミネートされた。
『ニューヨーク・タイムズ』紙は「『The Will Rogers Follies 』と『ミス・サイゴン』がミュージカル作品賞最有力候補である。

しかしロンドン・ミュージカルの『ミス・サイゴン』が負けるのではないかと予想される。
しかしイギリス人俳優のプライス、フィリピン人女優のサロンガのブロードウェイでの演技は最高であり、両者の戦いは長く続く」と記した。

ほとんどの部門で『The Will Rogers Follies 』が受賞したが、サロンガがミュージカル主演女優賞、プライスがミュージカル主演男優賞、バトルがミュージカル助演男優賞を受賞した。




出典: 「ミス・サイゴン」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



このミュージカルがなぜデンマンさんを惹きつけるのですか?



このミュージカルは、ブロードウェイでロングラン公演歴代13位になったほど人気があるのだけれど、映画にもなったのですよ。。。なぜ僕がこのミュージカルに興味があるか?…というと、『蝶々夫人』のアメリカ海軍士官と没落藩士令嬢を置き換え、1970年代のベトナム戦争末期のサイゴンの売春バーで働くベトナム人少女キムと、アメリカ大使館で軍属運転手を務めるクリスの悲恋が描かれているのですよ。。。つまり、日本の「蝶々夫人」とサイゴンの少女がダブルのです。。。

つまり、ホーチミン市(旧サイゴン)と『蝶々夫人』の舞台・長崎が結びついている、と言いたいのですねぇ〜。。。

そういうことです。。。



(foolw.gif)


【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~。。。

あなたもホーチミン市に出かけませんかァ〜?

ええっ。。。 「そんなことは どうでもいいから、何か他にもっと面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で あたくしに ご命令なさるのでござ~♬~ますかァ?

いけ好かないお方。。。

わかりましたわァ。。。

では、デンマンさんが暮らしているバンクーバーに一度も行ったことがない人のためにバンクーバーを紹介するクリップを貼り出しますわ。

ジックリとご覧になってくださいませぇ~♬~。

 


(stanley50.jpg)


(seawall3.jpg)


(seawall2.jpg)

世界で最も住みやすい街バンクーバー






(wetsuit.jpg)


(wetsuit3.jpg)


(gastown20.jpg)

 

ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。

だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。

じゃあねぇ~~。

 


(hand.gif)


メチャ面白い、

ためになる関連記事




(linger65.gif)

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(house22.jpg)

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


『熟女下着』ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)

■ 『さらに軽井沢ブーム』

■ 『バンクーバーの生活』

■ 『別れの朝に』

■ 『思い出の天の川』

■ 『隠し子』

■ 『ウィーンの空』

■ 『ハルヴァ@軽井沢』

『キャドバリーチョコ』軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)

■ 『二人の母親』

■ 『アダルトダメよ』

■ 『月の男』

■ 『アダルト駄目』

■ 『ホロドモール』

■ 『ワンダフルライフ』

■ 『上原良司の自由主義』

■ 『季節外れのハロウィーン』

■ 『アダルトと成人』

■ 『やらしい夢』


(fragran11.jpg)

■ 『ハロウィーンと火祭り』

■ 『火祭り』

■ 『火祭りのあとで』

■ 『人気の外人ヌード』

■ 『ひごずいきの装着』

■ 『軽井沢夫人@韓国』

■ 『トランプ悪大統領』

■ 『トランプ大統領@注目』

■ 『味もめん再び』


(sayuri201.jpg)

■ 『宮沢りえ@ツイッター』

■ 『宮沢りえファン』

■ 『行田中央総合病院』

■ 『怖い話が好き』

■ 『夢の軽井沢』

■ 『タリアセン夫人とツイッター』

■ 『お菓子・ケーキ・タルト』

■ 『捨て子の母親』

■ 『クレオパトラと女性作家』

■ 『ランチボックス』

■ 『ハルヴァ人気』

■ 『WI-FIが使えなくなった』

■ 『アクセス禁止』

■ 『海外美女で1位』

■ 『雲場池の軽井沢夫人』

■ 『ロシアの画像検索』

■ 『メキシコの美女』

■ 『インディアナの砦から』




(galette04.jpg)


(byebye.gif)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 幻の雅叙園 | トップ | 混浴入浴風景 »

コメントを投稿

軽井沢タリアセン夫人」カテゴリの最新記事

OSZAR »