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デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

愛は満天の星のごとく。。。PART 1

2006-04-13 14:56:46 | ネットストカー・荒らし・インターネット


愛は満天の星のごとく
 




丹波の篠山を逃げて神戸に住んでからは吉井信子と名乗って二週間ばかりカフェーの女給をして居ましたが前借のこともあるし小遣にも困り、何とか金が欲しいと思い、店に来た客に月100円の収入ある商売はないかと聞いたところ客が
「よい商売がある。遊んで居て気が向いてから商売を始めたらどうか」と言いました。
その男は高等淫売の客引をしている人でした。
大体その見当はついていましたから今更堅気になっても良い暮らしができるわけではないと思い、私もその気になってその家に行きました。
2ヵ月ばかりブラブラ静養しながら高等淫売を始めました。

ところが、その主人は私の稼ぎから今までの費用を差し引いて、なおピンはねするので仕打がヒドイから3ヵ月位で商売を止め、昭和7年28歳の時に大阪へ行き同じ商売をしました。
しかし、間もなく淫売を止め1年ばかり妾をして居りました。
その間、相手は3人変り毎月60円から100円の手当をもらっていました。

この頃から情事に快感を覚え一人寝は淋しくてなりませんでした。
妾では旦那の来るのが月に5回か6回なので淫売当時の好きな客2人ばかりとも時々関係していました。
金もたやすく入ったし暇もあったの遊蕩三昧の生活をするようになりました。
暇に任せて麻雀したり、宝塚へ遊びに行ったり、道頓堀へ出かけたりして浮かれておりました。
賭博の事で警察に検挙されたのはこの頃です。

そこで謹慎する気になり小遣も400円もありましたから妾を止め、独りで大阪の住吉アパートを借り、本などを読みながら1ヵ月半位静かに生活していました。
しかし、男と関係を持っていないと気がイライラするので、当時お医者さんに診察してもらった事がありました。
お医者さんは「別に異状はない。そのような事は人間として当然ある事だから独身より真面目な夫婦生活をするがよい、それができないようであれば、精神修養の本を読んで気分を転換しなさい」
そう言われました。

『自伝・阿部定の生涯 その2』より


デンマンさんは、定さんがあたしに似ているとおっしゃいましたよね。

そうですよ。良いところも悪いところもレンゲさんと定さんは、よく似ていると思いますよ。

どのようなところが。。。ですか?


(28歳の)頃から情事に快感を覚え一人寝は淋しくてなりませんでした。
 。。。
男と関係を持っていないと気がイライラするので、当時お医者さんに診察してもらった事がありました。


普通、このような性的な問題は、女性は余り口にできないものですよ。僕はこれまでに知り合った女性の事を考えて、そういう印象を持っていますよ。性的なことをあからさまに話す女性は極めてまれですよ。

つまり、あたしはそのようなまれな女だとおっしゃるのですか?

そうですよ。レンゲさんは、ネットでも率直に自分を語る事ができる人なんですよ。

あたしはそれほど性的なことを率直にネットで書いていましたか?

書いていましたか?。。。どころではないでしょう。次の手記を読んでみてくださいよ。僕はこれまでに何度も引用しましたが。。。


幼児的なふれあいへのあこがれ

2004-12-27 11:37:24


わたしのぐずぐず

さびしいよおおおお!

彼氏にあえないからねえ・・・

でも、本当はね、ここがふんばりどころだと気付いてる

遊びだけの男とセックスするのはやめとこう

連絡したら来てくれるヤツもいるけど・・・


ずるずると同じことくり返して学習しないわたしを変える

誰とでもセックスするヤツやったんや!って

あの人を傷つけてしまった。

さびしさでこわれてるけど、きっと直る、この心。

どうしても、幼児的なふれあいへのあこがれが、

この年になると、イコールセックスになるんやわあ。

by レンゲ

『愛とセックスは、もちろん、違いますよね?』より


またこの手記ですかぁ~?

レンゲさんも、ちゃんと覚えているではないですか?

もちろん、覚えていますわ。この手記を書いたために、あたしはずいぶんと非難されたんですわ。その中心人物がデンマンさんだったのですわ。

僕は、何度も言うように非難していたのではありませんよ。批判していたのです。

同じようなものですわ。

違いますよ。“非難”というのは、「他人の欠点や過失を取り上げ、それは悪いと言って責めること」なんですよ。

じゃあ、“批判”は。。。?

“批判”は、「悪いといって責めること」ではないんですよ。もっと前向きで建設的なことを言うんですよ。

だから、どういうことですか?

つまりね、“批判”とは「根拠に基づいて、物事の良いこと悪いことを論理的・科学的に明確にして、検討し、評価すること」なんですよ。

やっぱり、同じようなものですわぁ。。。

違いますよ。“非難”には悪意が込められているでしょう?要するに、相手の欠点や過失を取り上げて、悪い!と言って責めるんですよ。

“批判”だって、同じようなものではありませんか?

“批判”には相手の悪い事を責めるというような“悪意”はないんですよ。悪い事ばかりではなく、良い事も含めて評価・検討して前向きに建設的に話を進めてゆくわけですよ。だからこそ、僕は“批判の無いところに進歩なし!”という言葉を座右の銘にしているほどです。

“非難”と“批判”には、本当にそのような違いがあるのですか?

もちろんですよ。レンゲさんは僕の言う事を信じる事ができないのですか?

別にそういうわけではありませんけれど。。。

でも、信じようとしていないではないですかああああ~~~

デンマンさん、あたしの真似をして“あ”を延ばさないでくださいな。耳障(ざわ)りですねん。

分かりましたよ。。。あのね、頭のいい人が書いたものを読めば、すぐに分かりますよ。“非難”と“批判”は同じようで全く違うものなんですよ。たとえば戦後、1946年5月に当時の文部省が『新教育指針』というものを発表したんですよ。その頃には頭のいい人が文部省に居たんですよ。その中で次のように書いています。分かりやすいように僕が噛み砕いて書きますが、原文の意味を曲げて書いているわけではありません。僕を疑う人は原文を読んでくださいね。


明治以来の日本の近代化は、西洋文明の物質的側面を取り入れる事に主眼を置き、その奥にある基本的な精神を無視してきた。

日本人は汽車や汽船や電気器具を使う事は学んでも、それを作り出したところの科学的精神そのものは、まだ十分に発展させていない。

また、戦争と敗戦は、日本人が「人間性、人格、個性」を十分に尊重しなかった事から生じたのであり、合理的で批判的な精神を養えなかったために、軍国主義や超国家主義の台頭を許したのである。


分かりますか?太平洋戦争までの教育を批判的に省(かえり)みて、文部省の役人がこれからの教育はこうでなければならない、と考えて『新教育指針』に書いたわけですよ。こういう人が文部大臣になって日本の教育行政に当たればよかったんですよね。でも、このような考え方は長くは続かず、封建的な大臣が出てきて、日本はこの方針通りには教育が進められなかった。つまり、僕が何が言いたいかというとね、合理的で批判的な精神は、忘れられていましたよ。

批判的なことを言う人は、悪口を言う人だとあたしは教わりましたわ。みんなで仲良くやりましょう、というのが先生の言った事ですわ。

そういう先生が多くなったから、今の日本のように愚民がたくさん生み出されてしまったんですよ。2ちゃんねるを見てくださいよ!あそこでは、たくさんの愚民が無責任で勝手な事を匿名で書いて遊んでいますよ。

本当ですか?

レンゲさん、とぼけないでくださいよ。あなただって、僕にそう言っていたじゃないですか? “2ちゃんねるではマジで書けませんわ。。。” レンゲさんは僕にそう言ったじゃありませんか。

そうでしたか?

そうやってとぼけるのですね?。。。だったら、ここで僕が言おうとしている事を見せますからね。



『小泉純一郎と名乗る愚かなDEMPA55が生まれ育ったふるさと』

レンゲさんは、これを見て僕に言ったんですよ。そうでしょう?“こういうところでマジでは書けない。。。”と。 まだ僕の言う事が信じられなかったら、上のリンクをたどってオリジナルの掲示板を見てくださいね。このスレッドはあの悪名高いDEMPA55が生まれ育った2ちゃんねるの公衆便所の壁ですよ。DEMPA55のことが分からなかったら、Yahooでも、Googleでも、検索エンジンにこの言葉、DEMPA55、を入れれば僕が書いた記事をたくさん見つける事ができますからね。ぜひ、たくさん読んでみてくださいね。

デンマンさん、また、ずいぶんと脱線してしまいましたわね。うふふふふ。。。。

うふふふ。。。じゃないですよ。僕を脱線させたのはレンゲさんじゃないですか?非難と批判が同じモノだと言ったから、僕はムキになって違うんだと話し始めたんですよ。

分かりましたわ。つまり、批判精神が日本の教育から脱落していたので、2ちゃんねるで匿名で遊ぶ愚民が増えたとおっしゃるのですね。

そうですよ。その通りですよ。昭和46年の『新教育指針』にも書いてあることなんですよ。その通りに日本の教育がなされていたならば、今のように2ちゃんねるで遊ぶ愚民が500万人も生まれなかったんですよ。

デンマンさん、このような事を書いたら、2ちゃんねるから絶対にたくさんの愚民が、この記事を読みに来ますわよ。

うへへへへ。。。。2ちゃんねるの馬鹿が煽(あお)られて僕のブログにくだらないコメントを書くでしょうね。うひひひひ。。。。僕の望むところですよ。そういう愚民を真人間にするために、カナダのバンクーバーからこうして記事を書いているのですからね。。。

つまり、何ですかああああ。。。もうあたしの事など、どうでもよいと言うわけですのォ~~?

ちがいますよ。この記事はあくまでもレンゲさんのことを書くために書き始めたんですよ。

それがどうして。。。?

それがどうしてって。。。レンゲさん、。。。無責任な事を言ってもらっては困りますよ。あなたが“批判”と“非難”は同じようなものだと言ったから、こうして脱線してしまったんですよ。でも、このことは重要なんですよ。合理的で批判的な精神が日本に育たない限り、日本はこれからますます悪くなってしまいますよ。

要するに、日本の教育は昭和46年の『新教育指針』に基づいてなされてこなかったとおっしゃりたいのですね?

そうですよ。聖徳太子の和の精神だけを持ち出して“仲良くやりましょう”だけじゃ、ダメなんですよ。

分かりましたわ。デンマンさんはあたしを非難したのではなく、批判したということが分かりましたわ。でも、デンマンさんがあたしに対して批判した言葉の数かずは冷たかったですわ。

そんな事はありませんよ。

だって、あたしは冷たいと感じたのですわ。

そんな事は断じてありませんよ。

デンマンさんは、どうしてそのように断定する事ができるのですか?あたしは冷たいと感じたのですわ。

それはレンゲさんの受けとめ方が間違っていたんですよ。

どういうことですの?

僕はレンゲさんを批判しますよ。なぜなら、“批判の無いところに進歩は無い!”と信じていますからね。でも、ただ無闇に批判しているだけではありませんよ!

だから、どうして、あたしが冷たいと受け取る事が間違っているとおっしゃるのですか?

“愛なき批判は空虚にして、

批判なき愛は盲目なり”


。。。わかるでしょう?僕がレンゲさんを批判するとき、僕はこの言葉を噛み締めながら批判しているんですよ。

そうでしょうか?

そうですよ。僕はレンゲさんを愛しながら批判していますよ。この記事のタイトルを見ましたか?“愛は満天の星のごとく。。。”

ええ、見ましたわ。それが何か。。。?

尾崎秀実さんの獄中の書簡を集めて本にしたタイトル“愛情はふる星のごとく”をもじって僕がこの記事のタイトルにしたんですよ。。。どうですか?。。。レンゲさんの心にも響くものがありませんか?

別に。。。

僕は、満天の星のような愛を込めて、この記事をレンゲさんのために書いているんですよ。僕のこの熱い気持ちが分かるでしょう?

でも。。。

なんだか、頼りなげな返事ですね?。。。僕の愛がレンゲさんに全く伝わってなかったようなことを言いますねええええ~~

今度は“あ”じゃなくて“え”を延ばしたのですねえええええ~~うふふふふ。。。。

レンゲさん、あなたはマジですか?

もちろんですわ。ふざけているのではありませんわ。

だったら、レンゲさんも覚えているはずですよ。僕の批判の中に、レンゲさんは、はっきりと僕の“愛”を感じ取っていましたよ。何度も引用するようだけれど、レンゲさんは忘れっぽいから、仕方なく、またこうして引用するんですよ。

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