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奈良県での出来事日記

青息吐息の老人が、奈良行事も交えながら、日記を投稿しますね・・(^◇^)

平安時代の治承4年(1180)に南都の寺院を焼き討ちした人物は?・・(^_-)-☆

2025-07-01 12:00:33 | 奈良まほろばソムリエ
こんにちは‥(^_-)-☆



今の奈良は、33℃と蒸し暑くなりましたね。

最高気温も34℃と昨日並みで蒸し暑いですが、蒸し暑い日が続きますね・・(^_-)-☆

心持ち蒸し暑くなった日が続き蒸し暑さもあって眠れず、体調不良になり散歩が停滞気味になっています・・(^_-)-☆

奈良まほろばソムリエ奈良通2級の12回目の問題です。

2 奈良県の歴史に関する事柄について、最も適当なものを選びなさい。

(13) 奈良時代に孝謙上皇の寵愛を受けて権力を握ったが、最後には失脚した僧侶は誰か。

 ア.道鏡 イ.行基 ウ.玄昉 エ.良弁

 (14) 平安時代に即位した天皇の中で、奈良県内に陵墓が治定されているのは誰か。 

ア.桓武天皇 イ.平城天皇 ウ.嵯峨天皇 エ.宇多天皇

 (15) 平安時代の治承4年(1180)に南都の寺院を焼き討ちした人物は誰か。

 ア.平重衡 イ.北条時宗 ウ.藤原頼通 エ.源頼朝

 (13)奈良時代の僧侶・○○は、孝謙天皇(称徳天皇)の信頼を得て権力を握り、太政大臣禅師や法王にまで上り詰めました。

761年に孝謙上皇が病に臥せっていた時のことです。

当時、○○は孝謙上皇に加持祈祷を行い、献身的に看病しました。

これが孝謙上皇の心に響き、深い信頼関係が生まれることとなります。

しかし、宇佐八幡宮の神託事件をきっかけに失脚し、下野に左遷されて生涯を終えました。

ヒントは東大寺の僧でもなく、最後に権力を握ったそうです。

(14)○○天皇は病気を患ってしまい、わずか3年で退位。

○○天皇の病気はしばらくして治り政治への意欲を取り戻した○○天皇は、810年に平城京遷都の命令を下しますが戦いに敗れて、平城京近くに葬られる。

ヒントは都近くに葬られた天皇です。

(15)○○は1157年、平清盛の五男として生まれました。

興福寺に迫ります。

そして、放火によって興福寺や東大寺を焼いてしまいました。

この火事によって多数の僧侶も焼死。

○○はかつて焼き討ちした興福寺や東大寺の衆徒の強い要求によって、南都に引き渡されることになります。

最後は○○は木津川まで送られ、斬首されました。

ヒントは平清盛の5男です。

今日もいい日でありますように・・(^_-)-☆

(13) ア (14) イ (15) ア  

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