移転先は「https://shysweeper.hatenablog.com/」(同じく「Fsの独り言・つぶやき」)です。
引き続きよろしくお付き合いをお願いします。
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引き続きよろしくお付き合いをお願いします。
本日は夕刻から友人と居酒屋でゆっくりと静かに飲んだ。ようやく先ほど帰宅。
さて、先日からの予定通り、本日をもってこの goo blog を撤退します。もっともブログそのものから撤退するのではなく、「https://shysweeper.hatenablog.com/」(同じく「Fsの独り言・つぶやき」)への引っ越しです。
2007年7月にこのブログを開設し、2008年8月から本格的にブログを書き続けてきました。紆余曲折あり、焦点もいろいろと移りましたが、継続してきました。これまで訪問していただいた方々に感謝申し上げます。
まだまだ継続したいと思い、はてなブログへの引っ越しを決意しました。
この goo blog は、もまもなく閉鎖となりますので、引っ越し先に引き続き訪問していただければうれしい限りです。
風邪様の症状はほぼおさまったが、妻にうつしてしまったようだ。私と同様の症状なので、医師にもらった薬を私の判断で、残りの薬を妻に服用するよう渡した。私の方は今晩で服用を終えたいと思っている。私以外の人間が妻といえども服用するのは好ましいことではないと思うが・・・。
ようやく退職者会ニュースの7月号の原稿を仕上げた。他の役員にPDFにして送信した。経費節減のため、印刷会社に校正刷り作成と印刷を依頼するのではなく、私の原稿のまま、輪転機にかけて1100部印刷することになった。
紙面の割付のセンスも問われる。謄写印刷も優れた機械になっており、写真の諧調もかなり細かく再現できる。とはいえ写真の製版も難しい。
とりあえず、今月号はテスト印刷である。A3両面印刷で、二つ折りにする作業は22日の幹事会の前に澄ませないといけない。一応11日に作業予定である。
本日は薬の影響で少々おなかが緩いが、夕方には娘夫婦を交えて近くの店に出向いて5人で食事会の予定。
今のところウォーキングはまだいつもの目標の半分以下にしている。
さて、このブログ、明日の掲載で goo blog は終了しようと考えている。7月1日からはてなブログへ一本化することにした。
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一昨日から水洟とくしゃみの連続。そして昨晩は喉に痛みが出て、自分でも喉が腫れているのが分かるほどになった。布団に入ったものの、ほぼ1時間半ごとに喉の痛みで目が覚めた。そのたびにうがい薬でうがいをして痛みを抑えた。
本日の午前中は親の通院の付き添いの予定であったが、妻に代わってもらい、私はいつもの内科に直行。一般的な風邪の前駆症状、といわれた。コロナでもインフルエンザでもないらしいとのことで、一応一安心。漢方薬二種のほかにさらに2種類の薬を処方してくれた。
薬が聴いているためか、喉の痛みは和らいでいるが、痰がすぐに絡む。医師からは熱が出るかもしれないと、解熱剤アセトアミノフェンを処方してくれた。しかし今のところ発熱はない。
家にこもっているとなんとなく気が滅入るので、体調はあまりよくないものの、喫茶店に出向いて夕刻までぼーっとしていた。
さて、のどの痛みを抱えながら・・・。思い出してイライラしたこと。
トランプは、イランの核施設への攻撃について「本質的には広島・長崎と同じだ」と述べたという。昨年被団協がノーベル平和賞を受賞し、原爆投下が戦争犯罪として取り上げられるようになったのを一挙に覆した。アメリカは再び、あの戦争犯罪に向き合わないことを宣言したと同じである。
「国家の存立のため」「平和のため」「領土保全のため」「国民の権益擁護のため」云々という戦争を肯定する論理は、その後ろに必ず「その目的のためには個人の犠牲や市民の犠牲はやむを得ない」という免罪符が隠れている。
「戦争」をもてあそぶ為政者になってはならない。「人の顔をまずひっぱたいてから、話し合おう」というのはやくざの手法である。
腹が立てば立つほど、喉の痛みはますますひどくなってくる。治るまで時間がかかりそうである。
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台風2号とそれから変わった熱帯低気圧のために、横浜では短時間だが強い雨が繰り返し襲ってきた。昼過ぎに太陽が顔を出し、とても蒸し暑くなった。もう降らないだろうと、勝手に思い込んで出かけたら、突然の強い雨に降られた。
暗くなってぽつぽつと降り始めてから、わずか15秒ほどで土砂降りの雨になった。傘をリュックから取り出す間もなく半ズボンがビショ濡れになり、運動靴の中にも雨が入り込んだ。30m先のコンビニまで走ろうとしたが、風も強く傘も反転してしまい断念。傘をさしたまま50m先の地下鉄の入口にようやくたどり着いた。ザックカバーをしていたので、リュックの中が濡れなかったのは不幸中のさいわいであった。
地下鉄の入口の階段の踊り場で一息ついている間に雨は小ぶりになった。降り始めてからわずか5分も経っていなかったと思う。
新横浜駅の家電量販店でパソコンのモニターを置く台を2400円也で購入し、喫茶店で一服。
行くときと反対にカンカン照り、蒸し暑さの中を50㎝を超える長い荷物を持って、あえぐようにして帰宅。妻に「この雨の中、わざわざ出かける人の気が知れない」と笑われてしまった。
午前中と、帰宅後は退職者会ニュースの原稿づくり。おもて面は70%、裏面は85%出来上がった。記事はあと3本と小さな囲み記事ひとつ。26日と28日の集会の報告記事がメイン。29日には一応完成させたいと考えている。
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ことしの「平和の詩」に選ばれ、戦没者追悼式で朗読された、豊見城市の伊良波小学校6年、城間一歩輝さんの詩、「おばあちゃんの歌」の全文です。例年の通り、書き写させてもらった。
おばあちゃんの歌
毎年、ぼくと弟は慰霊の日に
おばあちゃんの家に行って
仏壇に手を合わせウートートーをする
一年に一度だけ
おばあちゃんが歌う
「空しゅう警報聞こえてきたら
今はぼくたち小さいから
大人の言うことよく聞いて
あわてないで さわがないで 落ち着いて
入って いましょう防空壕」
五歳の時に習ったのに
八十年後の今でも覚えている
笑顔で歌っているから
楽しい歌だと思っていた
ぼくは五歳の時に習った歌なんて覚えていない
ビデオの中のぼくはあんなに楽しそうに踊りながら歌っているのに
一年に一度だけ
おばあちゃんが歌う
「うんじゅん わんにん 艦砲ぬ くぇーぬくさー」
泣きながら歌っているから悲しい歌だと分かっていた
歌った後に
「あの戦の時に死んでおけば良かった」
と言うからぼくも泣きたくなった
沖縄戦の激しい艦砲射撃でケガをして生き残った人のことを
「艦砲射撃の食べ残し」
と言うことを知って悲しくなった
おばあちゃんの家族は
戦争が終わっていることも知らず
防空壕に隠れていた
戦車に乗ったアメリカ兵に「デテコイ」と言われたが
戦車でひき殺されると思い出て行かなかった
手榴弾を壕の中に投げられ
おばあちゃんは左の太ももに大けがをした
うじがわいて何度も皮がはがれるから
アメリカ軍の病院で
けがをしていない右の太ももの皮をはいで
皮ふ移植をして何とか助かった
でも、大きな傷あとが残った
傷のことを誰にも言えず
先生に叱られても
傷が見える体育着に着替えることが出来ず
学生時代は苦しんでいた
五歳のおばあちゃんが防空壕での歌を歌い
「艦砲射撃の食べ残し」と言われても
生きてくれて本当に良かったと思った
おばあちゃんに
生きていてくれて本当にありがとうと伝えると
両手でぼくのほっぺをさわって
「生き延びたくとぅ ぬちぬ ちるがたん」
生き延びたから 命がつながったんだね
とおばあちゃんが言った
八十年前の戦争で
おばあちゃんは心と体に大きな傷を負った
その傷は何十年経っても消えない
人の命を奪い苦しめる戦争を二度と起こさないように
おばあちゃんから聞いた戦争の話を伝え続けていく
おばあちゃんが繋いでくれた命を大切にして
一生懸命に生きていく
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おととい、何気なく本棚から「無常の使い」(石牟礼道子、藤原書店)を手に取った。購入したが頁をめくることはしていなかった。
23名の亡くなった方への弔辞になるのか、贈る言葉になるのか、故人との思い出になるのか、それらを集めた本である。
弔辞や哀悼文というのは、書いた人の人柄がよく滲んでくるものだと思う。私は好んでこの種の文章を読む。書いた人の死生観がにじみ出てくるし、亡くなった方のそれとの通い合い、響きあいに共鳴する。また故人や親族を慮ってか、言葉遣いが丁寧で細やかであることが多い。言葉が過剰にならず、過不足なく練った文章が多いことも好感が持てる。
石牟礼道子のこの本も、石牟礼道子から見た故人の人柄が私なりにとてもよく理解できたような気がする。どうじに石牟礼道子の死生観もよく表しているのではないか。
目を通したのしたのは最初に掲載されている「無常の使い――序にかえて」と「荒畑寒村(1887-1981) 死んだ先生に電話をかける」。
本の表題の「無常の使い」とは石牟礼道子の「50年くらい前までわたしの村では、人が死ぬと『無常の使い』というものに立ってもらった。必ず二人組で、衣服を改め、死者の縁者の家へ歩いて行ったものである。‣‣‣無常の死者は一組ではなく、何組も出発させねばならない。その人たちが帰ってきて、行った先の人たちが何時ごろ来るかを確かめて、葬儀の準備を整えていた」ということによる。
最後に「一人の死者に子どもたちまで花を持って寄りそうことによって、その日がハレのひになるという不思議さ。死者の家族だけでなくて、村の共同体すべてが故人の思い出を持っていた時代がここにあった。人々はやがて来るべき自分の死をも思いの中に入れて、つかの間なりと生死(しょうじ)の共同体をともにしていたと思われる。死者たちは生者たちに、おのが生命の終わりを餞(はなむけ)に残して逝くのである。」と結んでいる。
「荒畑寒村」の中で、次のように記されている。
「寒村先生が大逆事件に巻き込まれず、大杉栄のように殺されもせず、生き残られたのは何の機縁によるのであろうか。権力側の恣意であったといえばそれまでだけれど、菅野須賀子が‣‣‣伝えたことなど考えると、激烈な気性を持ちながら、この人には凶々しいものが避けて通るような、天性うららかなものが具わっていたような気がする。‣‣‣天の愛子(まなご)のような性質ゆえに、歴史の動く時の渦に、度々われから身を投じながら、物理的な遠心分離の作用が働いていた気がする。そのような渦巻きを客観として見ざるをえなかった人のまなざしの、なんと深いことかと思いもする。」
この引用の「渦巻き」以降の表現の見事さに私は脱帽した。「見ざるを得なかったまなざし」とは、寒村翁の見たものはどんな地獄だったのだろうか。主体的に関係した人々への権力側の過酷な死の強制や、反権力の運動の自壊を寒村翁はまなざしの中に留めたまま、1981年まで生き抜いた。
私たちが1960年代、70年代の後半の、裏を返せば禍々しい時代をいかなる姿勢で生きて来たかを見抜くまなざしであったかと、ふと背筋に震えが走った。
同時に石牟礼道子の取り上げている「寒村自伝」は読んだことはなかったが、読んでみたくなった。
次のような文も印象に残った。
「魂は死者の方へ、現身はまだ生者の方に属していて、生者と死者の間にあって何事かを誦している日常なので、寒村先生もやがこちらの方に来られる、とでも思っていた。」
「誰も聴いていない受話器にむかって、わたしは、ひとり言をいっている自分を発見した。(死ぬっていうのはほんとに大へん‣‣‣‣。先生、ひとりで死ぬの、大へんだったでしょう。人間、死刑にならなくっても、ひとりでしか死ねないから‣‣‣‣)。止めようと想うのに足が電話のところに行き、手が受話器をとり、口がそういうのであった。」
こんな弔辞を私も記すことができるような「深いまなざし」の人間になりたいと誰もが思うが、誰でもが成れるものではなさそうである。
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戦後80年、凄惨な沖縄戦から80年、今年も玉木デニー知事による平和宣言を掲載することにした。
ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザ侵攻による民衆の大量虐殺が行われ、イスラエルとアメリカによるイランの核施設攻撃という事態が新たに起きてしまった昨今、80年前とそれ以前の歴史をあらためて思い起こし、そして目を背けることなく、また耳を傾けたい。
沖縄慰霊の日 玉木デニー知事による平和宣言(全文)
どれだけ歳月を積み重ねようとも、決して忘れてはならない、あの悲惨な沖縄戦。
あれから80年が経ちました。
この美しい島は、激烈な戦火に襲われ、鉄の暴風は豊かな自然と風景を一変させ、貴重な文化遺産、そして、20万人余のかけがえのない命を奪い去りました。
この地には、戦火で散った無数の命が眠り、永遠の記憶が刻まれています。
「もう一度両親や兄弟の顔を見たい」と思いながら無念の想いで亡くなった命。
「生きたい」と将来を夢みながらも、生への希求を胸に絶たれた命。
「名付けられること」もないまま、消えていった幼い命。
まさに、「ありったけの地獄を一つに集めた」ともいうべき状況となったのです。
私たち沖縄県民の心に深く刻みこまれた悲しみは、いまなお、癒えることはありません。
このあまりにも凄惨な沖縄戦の実相と教訓は、戦争体験者が心の傷を抱えながら、後世に伝えようと残した証言と、沖縄戦研究者のたゆまない努力によって、今日まで受け継がれてきました。
これこそが、私たち沖縄県民の平和を希求するこころの原点となっています。
この地で繰り広げられた、住民を巻き込んだ沖縄戦の実相と教訓を、県民一丸となった不断の努力によって、世代を超えて守り伝え続けていくことは、いまを生きる私たちの使命ではないでしょうか。
沖縄の歴史を辿ると、琉球処分、沖縄戦、米国統治下といった苦難の道を歩んできており、本土復帰から53年を経た今日でも、広大な米軍基地が集中し、米軍人等による事件・事故、米軍基地から派生する環境問題、そして、辺野古新基地建設問題など、過重な基地負担が続いています。
世界に目を向けると、現在の世界各地の戦争・紛争は、第二次世界大戦後最も多いとされており、また、核保有国による核兵器使用の可能性を示す動きもあるなど、安全保障環境はより一層複雑さを増しています。
苦難の歴史を歩んできた沖縄は、「命どぅ宝」をなによりも重んじ、争いのない平和な世界を切に願っています。
私は、この小さな沖縄から、不条理な現状を打破するため、そして世界の恒久平和のため、何ができるのか、真剣に考え、国際社会と協調しながら、たとえ、微力でも行動していきたいと考えています。
私は、戦後80年の大きな節目を迎えた今、戦後90年、100年を見据えた長期的な視点に立ち、世界の恒久平和に向け、沖縄が果たすべき役割を、いまここに掲げ、世界に向け発信します。
一つ目に、「国際平和研究機構の創設」に向けた取組を進めます。沖縄戦の歴史的事実に資する研究や国際平和の構築に資する研究の推進に向け、研究体制を整備してまいります。
二つ目に、「沖縄の戦争遺跡群の保存・活用」に向けた取組を強力に進めます。沖縄戦の記憶を継承するため、物言わぬ語り部である戦争遺跡群を保存し、悲惨な沖縄戦を教訓とする遺産として整備し、将来的に世界遺産登録を目指してまいります。
三つ目に、「核軍縮及び核兵器廃絶」に向けた取組を進めます。広島・長崎と連携し、核軍縮及び核兵器廃絶を国際社会に働きかけることを目的とした「グローバル・アライアンス」へ参加し、人類を破滅に導く全ての核兵器の廃絶を推進してまいります。
この戦後80年は一つの通過点です。私は、たとえすぐに変化はなくても、この沖縄から平和を発信し続け、行動をすることが、世界平和に繋がるものと信じているのです。
いまこそ、先人達から脈々と受け継いできた「万国津梁」の精神により、国際社会とともに恒久平和の実現に貢献する役割を果たしてまいります。
わったー沖縄ぬ大戦から生じたる実相とぅ教訓や、戦争地獄体験みそーちゃる方々ぬ証言とぅ数々ぬ研究に蓄積ぬうかじに実証さってぃ受き継がとーやびーん。
くぬくとぅがる、わったー沖縄県民ぬ平和希求さんでぃする肝心ぬ原点なとーいびーん。
沖縄戦ぬ実相とぅ教訓に就てぃ、世代ん超てぃ、守い続きてぃいちゅるくとぅや、今生ちちょーる、わったー使命やてぃ、後ぬ世代までぃん繋じいちゅる「沖縄ぬ肝心」やいびーん。
先人達から受き継じちゃる「万国津梁」ぬ精神むっち、世界ぬ恒久平和ぬ実現んかい貢献ぬないる役割ん、くぬ後ん真摯さーに果ちいちゃびーん。
〈しまくとぅば・英語翻訳 エッセンス〉
沖縄戦の実相と教訓は、戦争体験者の証言と数々の研究の蓄積により実証され、受け継がれている。
これこそが、私たち沖縄県民の平和を希求するこころの原点となっている。
沖縄戦の実相と教訓を、世代を超えて守り続けていくことは、今を生きる、私たちの使命であり、後の世代につなげていく「沖縄のこころ」である。
先人達から受け継いできた「万国津梁」の精神をもって、世界の恒久平和の実現に貢献する役割をこれからも真摯に果たしていく。
本日、慰霊の日に当たり、犠牲になられた全ての御霊に心から哀悼の意を表するとともに、恒久平和に貢献する沖縄を目指して、一歩一歩着実に前進していくことを決意し、ここに宣言します。
令和7年(2025年)6月32日 沖縄県知事 玉城 デニー
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イスラエルによるイランのウラン濃縮施設の爆撃は、さらにトランプによる同じくイランのウラン濃縮施設への爆撃の引き金を引いた。トランプは「攻撃は壮大な軍事的成功」「イランの主要な各濃縮施設は完全かつ全面的に消滅」と自画自賛。イスラエルのネタ二エフは「大胆な決断、歴史を変える」と称賛。
核関連施設、原発関連施設への攻撃は原子爆弾による攻撃に等しい。「放射能漏れはない」との報道があるが、ウラン濃縮施設が物理的な破壊を受ければ放射能が拡散されるのが当たり前である。核が絡む攻撃に「きれい」な戦火などあるわけがない。
ロシアのウクライナ侵攻と虐殺、イスラエルのガザ侵攻と虐殺と目を覆いたくなる事態が当たり前になってきている。人は「慣れ」るものである。「慣れ」は「麻痺」でもある。
さらに連邦議会に図ることもなく軍事的が既成事実が先行することの恐ろしさにも目を向けたい。議会のコントロールが機能していないアメリカの「民主主義」の現状も危機的である。この蛮行を歓迎するアメリカの世論の熱狂が、日中戦争、太平洋戦争にのめりこんだ戦前の日本をほうふつとさせることにならないことを願いたいものである。かなり危うい状況ではないだろうか。違いは、当時も現在もアメリカが最大の軍事大国であるということである。アメリカは自国が「アメリカが世界の規範」であるという思い上がりをベトナム戦争を経ても学習していないということではないか。
悲しいことはまだある。日本の石破首相は「情報収集」と「邦人の安全確保」の2点のみ言及した。この2点は否定はしないし当然なのだろうが、広島・長崎に原爆を落とされた悲惨な体験をしている日本が、この蛮行に対して批判することもしない。また私たちの生活に大きな影響を与える原油価格の動向にも言及がない。
80年という時間の経過というものが、戦争の被害と戦後憲法の軛を為政者が忘却してしまったことの表れでないことを願いたいものである。戦争とそれを回避することが何よりも為政者のなさねばならないことという基準が踏みにじられてほしくないものである。
本日は朝から、悲しく、そして無力感にさいなまれた日である。と同時に、私になりに何かをしなくては、という意欲も醸成されつつある日であった。
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昨日までの退職者会の資料作りと、昨日の昼食会とそのあとの懇親会と二次会で、草臥れた。本日は頭の休養日と休肝日を兼ねて、休養日。
午前中に部屋の資料を片づけようとしたものの、気力が沸かず、そのまま「トラウマ」(宮地尚子、岩波新書)の第4章「ジェンダーやセクシュアリティの視点」に目を通した。
天気は晴れて太陽が眩しいが、南寄りの風が強い。正午前の最大瞬間風速は16mを越えている。
これより久しぶりに近くのおいしいコーヒーを淹れてくれる喫茶店で少し贅沢なコーヒータイムとしたい。
「トラウマ」を少しでも多く、読みたい。
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訪問してくれている方には申し訳ないが、残念ながら本日も内容の希薄な日録になってしまった。
午前中から午後にかけて、明日の退職者会の会議で使う資料の最終チェックとニュースの原稿づくり。資料のいくつかの文言や言い回しを修正してみた。資料に特に間違いではなかったが、言い回しを少しだけ「分かりやすく」したつもりである。追加の印刷も完了。ニュース原稿は割付を少し変えてみた。
夕方近くになってから、親に頼まれたいくつかの買い物に出かけた。横浜駅近くのショッピングモールにあるドラッグストアまで出かけてみた。家の近くの店でも購入したいものは置いてあるはず。特に理由はなく、ついでに横浜駅の書店をのぞきたくなったのが、理由といえば理由になる。
ついでに安い喫茶店に入り、コーヒーを一服。岩波新書の「トラウマ」の第4章を少しばかり読んだが、スマホでのメールチェックの時間の方が長かった。
タブレットを購入したいと思っているが、ようやく希望の機種が浮かびあがってきた。アンドロイドのタブレットにするつもりである。購入金額も大事であるが、軽量であることと、ハード面の能力、メモリー容量などいろいろと比較している。
ただし金銭的なゆとりや、自分なりに使いやすく設定する時間的なゆとりが必要なので、今月の購入は無理かもしれない。来週に再度財布ならびにスケジュール帳と睨めっこする必要がある。
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昼間は退職者会の打合せ。会場まで汗をかきなながら坂道を上った。会議自体は1時間ほどで終了。新横浜駅の家電量販店で足を伸ばして買い物、ならびにタブレットの品定めをしてから一服。
夕食前に帰宅。土曜日の退職者会の会議の資料を作り上げた。一年に一度の私の属するブロックの総会の会計報告と予算、活動報告と活動方針等々。
明日印刷すれば間に合うのだが、本日中に印刷まで完了できた。私の属するブロックは建設関係の部局にいた会員で、100人に満たない。総会とはいえ印刷部数はそれほど多くない。
本日の残った時間は、退職者会ニュースの原稿づくり。こちらは退職者会全体向けのニュースなので1000部以上の印刷になる。
100部だろうが、1000部だろうが、作る原稿の内容の精査には差はない。印刷部数が少ないから原稿づくりが楽とか、多いから大変ということはない。どちらでも原稿づくりに使うエネルギーは変わらない。違うのは印刷の労力だけである。
仕事としては、ひとやま超えると気分的にはほっとするのが人情。飲むお茶がおいしい。
これより日付が変わる1時までもうひと踏ん張り。ここ数日読書もままならず、少しイライラが募っている。土曜日の会議が終わるまでは気が抜けない。ブログの投稿も愚痴ばかりになっている。
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本日も暑かった。32.4℃と昨日よりも1.9℃低いかったとのこと。
午前中は退職者会の資料作り。本日午後からの会議の予定は、1日間違っていた。家を出る段階で、19日と18日を間違えていることに気が付いた。暑さの所為にはしたくはないのだが‣‣‣‣。
会議の予定がないならば買い物の手伝いを、ということで、お供を言いつけられた。といっても私の夏用の半ズボンを買うには、試着室で履いてみなくてはならないので「付いて来い」とのことであった。押し入れにある薄い木綿の夏用半ズボンはどれもがヨレヨレになっており、みっともないという。
バスでショッピングセンターまで出向いて、目当てのズボンを安く購入してくれた。妻も夏用の衣類を購入する予定であったが、私が傍についていると落ち着いて選べないとのことで、お役御免となった。妻は買い物を継続。
私は分かれていつもの内科に出向き、降圧剤等の薬を処方してもらった
薬局で薬をもらい、その足で家電量販店と書店をいつものように一回りしてから喫茶店でコーヒータイム。気が付いたら30分ほど寝ていた。読書は叶わず。
夜は退職者会ニュースの編集作業の予定。
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本日はあまりの暑さにとうとう半ズボンで繁華街まで出向いてしまった。半ズボンとはいえ足の長は到底長いとは言えない状態なので、実際は七分丈である。
しかし誰も私に注目しているわけではないし、すぐに恥ずかしさも無くなった。それだけ暑さがひどかったといえる。
横浜市内の最高気温は34.3℃と猛暑日一歩手前。昨日よりも3.2℃も上昇した。ただし昨日までのような高湿度でなかったのがせめてもの救い。
「果物のビワは皮ごと食べる」と知人に教えてもらった。私もかなりの果物は皮ごと食べる。魚もほとんどが皮ごと、骨の周りも髄も、そして小骨も食べてしまうし、果物では、桃も蜜柑も皮ごと食べることが多い。しかしビワの皮は食べたことがなかった。
帰宅したらビワを妻が購入していた。早速皮ごと食べてみたが、食べたビワの皮はもそもそとした触感が気になった。まだ熟していなかったのかもしれない。もっと熟れたものであれば、おいしく食べることもできるかと、次回に期待してみることにした。
本日の居酒屋ではカンパチのカマの塩焼きがおいしかった。それこそ厚い皮もバリバリとおいしくいただい。
明日は午後から会議で外出予定。明日も暑い予報になっている。
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幹事会のあとは会議の後処理をしたのち、軽く飲み会。珍しくビールを1缶と、日本酒を1合半ほど口にした。二次会には顔を出さずに買い物をしてから帰宅。
軽く夕食を食べたものの、酔いが回ってきて、パソコンの前でいびきをかいて寝てしまっていた。
目が覚めてから、本日の退職者会の幹事会で決まった6月下旬から9月上旬までの日程を15個ほどスケジュール帳に書き込んでみた。
当初特に重複はないものと思っていたが、実際に書き込んでみると一つが危なくバッティングするところであった。なんとか時間差で間に合うことがわかり、ほっとした。これまでに決まっていた家族関係などの諸日程の倍ほどもある。
前々から分かっていることだが、記憶で処理をしているととても危険であることをあらためて実感。
本当は書類の整理もしなくてはいけないのだが、酔いがまだ冷めない。やはり醸造酒は苦手。作業はもう中止。早く寝て明日の外出に備えることにした。
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